◆毎日もらったチョコレート
有名音楽家で監(jiān)督の尹建平さんと松山バレエ団の縁は1975年にまで遡る。
當(dāng)時19歳だった尹さんは北京蕓術(shù)団と共に日本を訪問する機(jī)會を得た。當(dāng)時その日本側(cè)の接待と全行程のガイドをつとめたのが松山バレエ団の創(chuàng)設(shè)者、清水正夫団長だった。
尹さんは、「歓迎レセプションで、清水さんがこう挨拶したことを覚えている?!核饯现袊蜃瞍鈵郅筏皮い肴毡救摔恰⒅袊幕蜃瞍鈵郅筏皮い肴毡救摔扦猡ⅳ?、さらに中國人に謝罪する日本人でもある』と。私たち全員はこの言葉に衝撃を覚えた」と當(dāng)時を振り返る。
清水氏が確かに中國を最も愛する日本人の一人であることは、その後の彼の実際の行動でもはっきりと感じられたという。清水氏は毎日のように中國の役者たちに食事や宿泊施設(shè)、體調(diào)を聞いただけでなく、大阪で尹さんが急性胃炎になった際には、清水氏はずっと薬とお湯を手に舞臺傍に立ち、尹さんが舞臺を降りるとすぐに薬が飲めるように準(zhǔn)備をしていたのだという。
清水氏は、「踴っている尹さんの姿が息子のように思え、この中國の若者には特に世話をしたいという思いに駆られた」のだという。
尹さんは、「いつも公演後、清水さんは私にこっそりチョコレートをくれた。このチョコレートの甘さは心にまで染み渡った。代表団が日本を離れる際に、清水さんは全員にプレゼントを用意していた。それだけでなく、私を端の方に呼び、小さな目覚まし時計(jì)を手渡してくれ、機(jī)會があれば、また日本に來てほしいと言ってくれた。あれから42年経ったが、あの目覚まし時計(jì)は今も大切にしている」とした。
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