1991年2月7日付けの「新疆日報」が掲載した「新疆の民用航空が空中の架け橋に」と題する記事は、「1986年に新疆航空公司がソ連から購入したジェット旅客機Tu-154(ツポレフ154)4機は、新疆維吾爾(ウイグル)自治區(qū)內(nèi)外の路線に運用されている。それにより自治區(qū)から飛行機が自治區(qū)外に飛ぶことはないという歴史が幕を閉じた。ここ5年で、烏魯木斉(ウルムチ)と北京、上海、広州、成都、廈門(アモイ)などを結ぶ國內(nèi)線11路線が相次いで開通し、西北、西南、華北、華東、東北、中南の6大経済區(qū)を支える空中の架け橋を構築。新疆と內(nèi)陸部間の経済、政治、文化の交流が強化された」と伝えた。
現(xiàn)在、新疆には民用空港がすでに20ヶ所あり、中國全土で民用空港が最も多い省區(qū)になっている。うち5ヶ所は年間利用者數(shù)が100萬人を超えている。
改革開放(1978年)からの40年間は、新疆にとって民用航空事業(yè)が大きく発展した40年でもあった。この40年の間に、新疆空港はさまざまな地域の空港と結ばれるようになり、新疆は今や「はるか遠くの場所」ではなくなった。
改革開放初期、新疆の民用航空事業(yè)の発展は緩やかで、自治區(qū)內(nèi)を飛行する9路線しかなかった。そして、運用されている飛行機も、Li-2(リスノフ2)やIl-14(イリューシン14)Y-5など、小型輸送機23機だけで、年間利用者は約6萬人にとどまっていた。
改革開放後、新疆民用航空の輸送や生産は発展の歩みを進めるようになり、新疆航空公司(中國民用航空ウルムチ管理局)は発足からわずか2年で、毎年赤字だった経営は大きな利益が出るようになり、運用する飛行機はプロペラ機から、ジェット機に変わり、自治區(qū)內(nèi)だけの飛行から、中國全土各地と結ばれるようになり、実質(zhì)的な飛躍を遂げた。
2004年4月16日、ウルムチ地窩堡國際空港を含む空港10ヶ所は、同自治區(qū)人民政府が管理するようになり、新疆機場(集団)有限責任公司が発足した。
現(xiàn)在、新疆では、10萬平方キロ當たり1.2ヶ所の空港があるほどの密度になっている。そして、于田(ケリヤ)、塔什庫爾干(タシュクルガン)、和靜県?巴音布魯克(バヤン?ウル)、和布克賽爾(ホボクサル)、巴里坤(バルクル)、準東などに空港を建設することを、中國國家民用航空局が既に認可した。全てが完成すれば、まさに大空を舞うガンの群れのように、新疆では飛行機が飛び交い、各地と繋がることになる。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年10月10 日