全國(guó)人民代表大會(huì)(全人代)代表が提出した「円明園を再建し、國(guó)の愛(ài)國(guó)主義文化建設(shè)を強(qiáng)化することに関する提案」に対し、國(guó)家文物局は北京市政府と協(xié)議の上、「遺跡はその荒れ果てた姿によって、國(guó)辱を忘れず、長(zhǎng)く警鐘を鳴らすよう後世の人々を戒めている。円明園の再建には、必要とされる考古學(xué)や歴史的文獻(xiàn)のよりどころが不足している上に、円明園が列強(qiáng)諸國(guó)によって破壊されたという歴史の現(xiàn)狀を変えてしまうことになるため、その必要性と実行可能性を慎重に論証する必要がある」と回答した。
円明園は円明、長(zhǎng)春、萬(wàn)春の3つの庭園の総稱で、1709年に造営が始まり、1809年に完成した。円明園は18世紀(jì)における中國(guó)の宮廷庭園蕓術(shù)の最高水準(zhǔn)を代表するもので、「中國(guó)のすべての造園蕓術(shù)の手本」と稱えられた。しかし、1860年と1900年に英仏連合軍と8ヶ國(guó)連合軍によって相次いで破壊された。1988年、円明園遺跡は國(guó)務(wù)院から全國(guó)重點(diǎn)文化財(cái)保護(hù)施設(shè)に指定された。
國(guó)家文物局は上述した11月5日に公開(kāi)された回答の中で、「同局は円明園遺跡の考古學(xué)調(diào)査、保護(hù)、展示利用を非常に重視している」とした。2000年に「円明園遺跡公園計(jì)畫(huà)」を承認(rèn)し、2010年には円明園遺跡を第一陣の國(guó)家考古遺跡公園に指定。2014年には「円明園遺跡考古學(xué)活動(dòng)計(jì)畫(huà)(2014-2020年度)」を承認(rèn)した。
「ある英國(guó)軍人は、『フランスが所有している王室の城と宮殿を合わせても、円明園には及ばない』と言った」。
「円明園には至る所に宮殿があり、そこは骨董品や書(shū)籍、絹織り物、各種寶物であふれている。それはまるでアラビアンナイトのワンシーンのような夢(mèng)の世界。たとえ幻想であっても思い描くことのできないものでありながら、我々の目の前に確かに現(xiàn)実として存在している。詩(shī)人と畫(huà)家、鑑賞家、歴史學(xué)者、中國(guó)學(xué)者を一身に集めた人材でなければ、円明園を描寫(xiě)し、形容することはできない」。
——ドキュメンタリー映畫(huà)「円明園」より
なくなってしまっても、再び作ることのできるものもある。しかし、失われてしまえば永遠(yuǎn)に消えてしまうものもある。立ち遅れていれば弾圧され、強(qiáng)大であれば國(guó)は盛んになる。我々が過(guò)去に払った?jī)颐鲌@のような極めて大きな代価は、そのことを私たちに教えてくれる。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2020年11月13日