大きな頭にぷっくりした両手を胸元にそえているピンクの恐竜のキャラクター「momo」の姿が最近、中國のネットでしばしば見かけられるようになっている。投稿內(nèi)容やメッセージに関わらず、その姿は各大手ソーシャルメディアの至る所で目にすることができる。人民網(wǎng)が報(bào)じた。
実は、「momo」は特定の個(gè)人のアカウントというわけではなく、新規(guī)ユーザーに自動(dòng)設(shè)定されるアカウント名だ。アルゴリズムによる推薦や「ネット考古學(xué)」がますますパーソナルスペースに入り込むようになるにつれて、個(gè)人を特定されないために、自動(dòng)設(shè)定のアカウントやプロフィール畫像を使って、身分を隠し、安心感を得るネットユーザーが増えている。
インターネットはバーチャル空間であるという耳慣れた定義が今、ビッグデータやアルゴリズムによって脅かされている。そして、ソーシャルメディアが発展するにつれて、各人気アプリは「知り合いかも」という表示が出る機(jī)能を続々と打ち出している。それにより、微博(ウェイボー)の書き込みや掲示板でのコメント、ひいては「いいね!」を押した動(dòng)畫まで、家族や友人、同僚、同級(jí)生といった現(xiàn)実社會(huì)での知り合いに紹介されてしまう可能性も生じている。
情報(bào)時(shí)代において、人は親しい間柄の人々の前では、社會(huì)的な常識(shí)に従い、こうした人々の期待に沿うような「外向きの顔」を必要とするが、同時(shí)にごく一部の人の前では、「本當(dāng)の自分」をさらけ出したいと考えている。ただ、検索機(jī)能が日に日に優(yōu)れていくようになるにつれて、バーチャル空間と現(xiàn)実の世界の境界もあいまいになってきている。そして、ソーシャルメディアのアカウントが、多くの人にとって不可欠なものとなり、そのわずかな手がかりを通して、他の人には知られたくない本當(dāng)の自分を、他の人に見られてしまうケースも生じている。
インターネットには記録が殘るため、そのアカウントを検索することで、過去の様々な記録が掘り返されてしまう。そして時(shí)にはその個(gè)人情報(bào)が曬されることで、ネットでの「誹謗中傷」につながるケースさえある。そのため、プライバシーへの侵入、記録の掘り起こし、個(gè)人情報(bào)の流出、発言の制限といったケースを回避するため、個(gè)人情報(bào)をある程度秘匿するということが現(xiàn)在、新たなニーズとなっている。
普段は社會(huì)に紛れて身を隠し、ネット上では「momo」で身を隠す。このように現(xiàn)実での身元を完全に隠すことができる「momo」は、コノハチョウにとっての「枯葉」のようで、そこに入ってほっと一息付ける隠れ家となっている。もちろん、そのためには他のネットユーザーとの仲を深める機(jī)會(huì)を犠牲にしなければならない。いつの頃からか、アカウント名やプロフィール畫像は個(gè)性をPRする重要な要素となってきた。そして、同じアカウント名にしているネットユーザーを見つけると、少し不快に感じるという人も多かっただろう。しかし、今では個(gè)性を発揮できたアカウント名に、コピペするかのように「momo」を使い、ますます透明化するネット上において、バランスを取ろうとしているのだ。
同質(zhì)化したからといって、個(gè)性が完全に消えてしまうわけではない。代わり映えがしないように見えるmomoも、実際にはそれぞれの特徴がある。しかし、オンライン空間に治外法権があるわけではなく、momoが違法な言論の隠れ蓑になるというわけでないことも強(qiáng)調(diào)しておかなければならない。実際には、匿名による偽裝というのは「表面上」にすぎず、アカウントIDという唯一無二の「身分証明書」を通して、違法な言論があった「momo」に責(zé)任が問われたケースはすでにある。
そのため、全てのmomoが、その優(yōu)れた気風(fēng)を一緒に作り出していくべきだろう。ただ、長い目で見ると、バーチャル空間において、パブリックエリアとプライベートエリアをどのように共存させるか、そして自由と規(guī)制の境界をどのように定めるかなどは、全ての人が共に考えるべき課題となるだろう。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年5月25日