半世紀(jì)以上にわたり、歴代の上映チームが「世界の屋根」の高い山や大きな川を越え、寒冷や酸素不足、高い山や険しい道といった困難を克服し、雪の積もる高原地帯に住む人々のために光と影が織りなすストーリーを運んできた?,F(xiàn)在、西蔵(チベット)自治區(qū)の478の郷?鎮(zhèn)にデジタル映畫移動上映チームがあり、同自治區(qū)山南市加?xùn)吮hのチームはそのうちの1つだ。人民日報が伝えた。
加?xùn)吮hの映畫上映チームは毎年888回の上映を任務(wù)とするが、実際には毎年これより多く上映してきた。2021年は900回を超え、観客は延べ1萬9000人を超えた。チームのメンバーにとって、映畫の上映回數(shù)は単なる數(shù)字ではなく、果たすべき責(zé)任という意味合いがより強い。
人が擔(dān)いで運ぶ、足踏み式の発電機(jī)にフィルム映寫機(jī)から、電力網(wǎng)による電力供給、デジタルメモリカードにステレオ音響機(jī)器といった現(xiàn)在の裝置まで、時代が移り変わり、設(shè)備が進(jìn)化する中で、変わらないのは上映チームのメンバーが映畫とこの土地に対する深い愛情だ。
この「星空映畫館」は都市の映畫館と異なり、農(nóng)村文化ステーション上映ホールとも比べられない。観客は山の地形に合わせて地面に座って映畫を鑑賞する。映畫館の標(biāo)準(zhǔn)裝備である座り心地のいい椅子や優(yōu)れた音響効果設(shè)備はないが、星空の下で映畫を見るという獨特の體験ができる。
加?xùn)吮h壩郷の蟲草採取スポットには、農(nóng)家?遊牧民が毎年4月にやって來て6月下旬まで滯在する。映畫鑑賞は彼らの精神的?文化的生活を豊かにするものだ。攜帯電話の電波がうまく屆かない場所もあり、人々は集まって映畫を見るのが好きだ。上映チーム代表の見參さんは映畫を見に來た人々を見かけると、昔からの友人に會ったかのように親しげにあいさつをしていた。
次旦卓瑪さんが住むテントは映畫上映スポットから遠(yuǎn)いが、映畫好きの彼女は時間ぴったりにやって來た。昔に比べ、農(nóng)牧エリアの娯楽はより豊富になったが、彼女にとっては露天映畫には特別な思いを抱き、子ども時代のさまざまな場面を思い出させてくれるという。
遊牧民の尼瑪さんの印象では、蟲草採取シーズンに映畫が上映されるようになって10年になる。小さい頃は遠(yuǎn)隔地の村に住んでいたので、両親は映畫を見るために小さい頃の尼瑪さんを連れて1時間の道のりを歩く必要があった。露天映畫は、故郷から滅多に外に出ない彼らにとって外の世界を知ることができた。
見參さんは「観客がいればどこでも映畫を上映する」といい、観客がいさえすれば、毎晩時間きっかりに露天スクリーンを設(shè)置する。「以前は上映の1時間前から設(shè)営しなければならなかったが、今は機(jī)械を電気につなぐだけで上映できるようになった」という。この仕事に従事した40年余りの間に、映寫機(jī)が8.75ミリメートルから16ミリメートル、35ミリメートルと変遷し、最後にはデジタルシネマになった映畫産業(yè)の発展をその目で見てきた。
加?xùn)吮hの映畫上映チームには6人のメンバーがおり、いずれも還暦目前の人生の先輩だ。嘉措さんは以前はチームの中堅で、よく標(biāo)高4800メートルあまりの牧畜エリアで映畫を上映していた。長年にわたり移動の多い大変な毎日を送ってきたせいで、リューマチにかかり、膝の関節(jié)も大きく曲がってしまったが、今でも映畫を上映した日々を懐かしく思い出すという?!府?dāng)時は馬で設(shè)備を運び、遠(yuǎn)いところだと60キロメートルも離れていて、徒歩で丸一日かかっていた。上映チームのメンバーは自分の食糧を背負(fù)い、自分で食事を作った。擔(dān)當(dāng)するエリアには上映スポットが18ヶ所あり、1978年以降、荷物を背負(fù)ったり馬の背に乗せたりして、毎月全てのスポットで映畫を上映できるようにしてきた」と嘉措さん。
メンバーの索朗多布傑さんは、「最も苦労したのは電気が通っていないことだった」とした上で、「2000年以降、発電機(jī)の質(zhì)がよくなり、映寫機(jī)も滅多に故障しなくなった。2005年以降は、加?xùn)吮hの郷?鎮(zhèn)に次々と電気が通るようになり、15年になると上映チームは基本的に電気の心配をしなくなった」と話した。
見參さんは、「現(xiàn)在、交通?移動條件が大幅に改善され、村に通じる道で一部の舗裝されていないところを除けば、県から郷への道はすべてアスファルト舗裝された。自分の家がある加?xùn)吮hから一番遠(yuǎn)い上映スポットの壩郷秋巴村までは114キロメートルの道のりで、そのうちアスファルト舗裝道路が70%、未舗裝の道路が30%を占め、標(biāo)高が4500メートル以上になる?yún)^(qū)間もある」と話した。
今では、攜帯電話やインターネットが徐々に高原地帯をカバーするようになってきた。見參さんは「情報ルートがますます広がる中、私たちは居住者が比較的多く集まる一部の村を選んで映畫を上映している。劇映畫でも科學(xué)教育映畫でも、何でも喜んでもらえる。そして西蔵が題材のドラマだと、観客との距離が縮まりやすい」とした上で、1枚のメモリカードを取り出し、「この中には映畫が20本入っている。戦爭映畫、戀愛映畫、SF映畫など何でもある。昔なら全く考えられなかったことだ」と話した。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年7月19日