「盧溝橋事件」(七七事変)から今年で77周年となる。人民網(wǎng)はこのほど、「南京民間抗日戦爭(zhēng)博物館」の館長(zhǎng)を務(wù)める?yún)蚁缺螭丹螭颏肖?、博物館の事情と呉さんの考える抗日戦爭(zhēng)についてお話をうかがった。
▽政府から民間に移り始めた南京大虐殺研究
司會(huì)者:「南京民間抗日戦爭(zhēng)博物館」についてご説明ください。設(shè)立にはどのような考えがありましたか。
呉先斌:南京民間抗日戦爭(zhēng)博物館は2006年12月に設(shè)立され、今年で8年目となります。しかし私はそれまでにもすでに、抗日戦爭(zhēng)史料についての収集と整理に努めていました。各方面の狀況が整い、また個(gè)人的にも表現(xiàn)の必要を覚えたため、私は土地を探し、建物を建て、博物館を設(shè)立しました。當(dāng)時(shí)は江蘇省で最初の民間抗日戦爭(zhēng)博物館でした。
ご存知の通り、南京は、特殊な歴史を持っています。南京大虐殺はここで起こりました。中國(guó)の南京大虐殺研究はこれまで、政府機(jī)関でだけ行われ、民間の力が參加することはありませんでした。2006年に私達(dá)が博物館を作り、南京大虐殺の研究を始めたのは、大虐殺史の研究における民間の力の不在を埋めたいと考えたためです。
博物館は設(shè)立後、社會(huì)各界の好評(píng)を受けました。南京大虐殺の研究が政府から民間へと移行し始めたことのシンボルとも言われました。私は、これは非常に重要なことだと考えています。人々の記憶には、國(guó)家の記憶と民間の記憶があります。もしも國(guó)家の記憶しかなければ、それは一種の不足と言わざるを得ません。とりわけ南京大虐殺史は私達(dá)にとって深刻な災(zāi)難の歴史であり、民間の記憶を欠かすことはできません。私達(dá)はそのためにこの博物館を設(shè)けました。博物館は主に二つに分かれています。最初の部分は「1937年南京の記憶」、次の部分は「奴隷になることを拒んだ人々」です。南京大虐殺の研究ですから最初の部分があるのは當(dāng)たり前ですが、第二の部分を設(shè)けたのには理由があります。2006年、この時(shí)期の苦難の歴史を振り返ろうとなった際、私は、これまで私達(dá)は悲しみを強(qiáng)調(diào)しすぎていたことに気付きました。悲しみにも栄光という一面、勇敢という一面、抵抗という一面があったことは見(jiàn)逃されていたのです。そのため「1937南京の記憶」で南京大虐殺という大きなテーマを紹介した上で、「奴隷になることを拒んだ人々」という部分で、南京大虐殺を含むこの戦爭(zhēng)において南京市民が勇敢に抵抗した歴史を取り上げることとしたのです。抵抗には様々な形式があります。剣を取って立ち上がることも抵抗の一つですが、敵を罵倒し憎むことも抵抗の一つでしょう。私達(dá)はそこで、この歴史を考える際には、抵抗を武力闘爭(zhēng)にだけ限定して捉えるのではなく、精神的な抵抗にまで広げて捉えることとしました。
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