立命館大學(xué)國際平和ミュージアムの近代的な外観は、古の京都の町並みの中で異彩を放つ。それ以上に特別な點は、ここが日本の侵略の歴史を反省し、國際社會に平和を呼びかける博物館であることだろう。同大學(xué)がこのような博物館を建設(shè)したのは何ら偶然ではない。揚子晩報が伝えた。
3000人の學(xué)生を侵略戦爭に送り込んだ大學(xué)
立命館大學(xué)は、戦後「自由と清新」「平和と民主主義」の建學(xué)精神を掲げ続けてきたが、第二次世界大戦において軍國主義の被害が最も大きい日本の大學(xué)という皮肉な歴史がある。
半世紀(jì)以上昔、當(dāng)時まだ20代の學(xué)生たちは軍國主義の指導(dǎo)の下、強(qiáng)制的に、あるいは自主的に武器を取り、戦爭ロボットと化し、戦爭の犠牲者となっていった。
「第二次大戦中、立命館の3000人以上もの學(xué)生が戦場に赴き、戦死していった」と博物館の村田博俊氏は語る。
戦後、日本の軍國主義は徹底して一掃されることはなかったが、立命館大學(xué)の有識者は侵略戦爭を深く反省するとともに、校內(nèi)に「わだつみ像」を設(shè)置し、多くの學(xué)生たちに無念の死をもたらした戦爭に対する悔しさを表現(xiàn)した。同大學(xué)學(xué)長は毎年職員を率いて、この像の前で「不戦のつどい」を開き、「二度とペンを銃に持ち替えない」という決意を誓っている。そして1992年、國際平和ミュージアムが設(shè)立された。
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