もっとも、進取にも保守にもどちらが優(yōu)れているということはない。その背景には、それぞれの性格、哲學、時代が存在している。
韓國の樸槿恵大統(tǒng)領が中國を訪問した際には、習近平主席は中國の囲碁棋士?常昊を紹介した。習主席が韓國を訪問した際には、韓國側(cè)は李昌鎬との面會を準備した。樸大統(tǒng)領は、複雑な頭脳のゲームである囲碁は人生という旅に似ていると語った。習主席は、「囲碁には人生と世界の戦略が隠されている」と応えた。棋聖?聶衛(wèi)平はかつて、「教えても下手なら顔が立たない」と習主席の碁の師匠となるのを斷ったことがあるという。だが政治家として國內(nèi)外の広大な碁盤に向かっている習主席の「世事は碁の如し」という心得の深さは、聶棋聖の比ではないだろう。
歳月は水の流れのようである。光陰は流転し、世界の萬物は囲碁の白黒の石のように、時間坐標に沿って時には対立し、時には和合する。時勢を作るのに長けた者は、あらゆる一手が全局のバランスを考えたものでなければならない。「碁盤上のすべての石の効率を発揮させる手こそが最良の一手である」。
「韜光養(yǎng)晦、有所作為」(能力を隠して力を蓄え、少しばかりのことをする)、「効率を優(yōu)先し、公平にも配慮する」、「一部の人をまず富ませ、共同で豊かになる道を取る」。弁証法をあがめる中國のような國を理解しようとすれば、スローガンの字面だけを見ていたのではただ混亂するだけである。音のない変化の中で、雲(yún)や水のように自然な碁石の運びを感じてこそ、この國の表面に現(xiàn)れない変動の局面を把握することができる。
西洋將棋(チェス)と中國將棋の違いをもって中華文化の保守性や陳腐さを指摘する人がいる。だが中國人の奧底にある精神性を代表するのはむしろ囲碁である。帝王や將相の厳しい等級はなく、361石は皆平等である。覇道ではなく王道である。
こうしたことがわかってこそ、「誰將百歳人間事,隻換山中一局棋」(百年間の世の中のできごとが山中の碁の一局にすぎなかったと誰が信じてくれるだろうか)という境地に至ることができる。そしてそれがわかってこそ、合従連衡の知恵を大國と人生の碁盤に傾けることができる。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年12月8日
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