中國社會科學(xué)院はこのほど北京國務(wù)院プレスセンターで、山西省臨汾市襄汾県?陶寺遺跡の発掘成果に関する記者會見を開き、発掘調(diào)査の重大な収穫を発表した。中國社會科學(xué)院考古研究所の王巍所長は、「陶寺遺跡は『堯の都』であったと推定される。堯舜時代はもはや伝説ではなく、確実な史実によって証明された」と述べた。央広網(wǎng)が伝えた。
40年弱に渡る陶寺遺跡の発掘調(diào)査と研究により、この遺跡が中國の紀(jì)元前で機(jī)能が最も整った都であったことが明らかになった。この都は、王宮と外郭、下層の貴族居住區(qū)、倉庫、王族の墓地(王陵)、天文観測?祭祀用の壇、手工業(yè)に用いられる作業(yè)部屋、庶民居住區(qū)によって構(gòu)成されていた。建設(shè)?使用の時代は、今から4000?4300年前。王族墓地に副葬されていた鼓、銅の鈴、漆器などの禮楽に用いられるものは、最古の禮楽制度の形成を証明している。天文観測?時報(bào)?祭天を一體化していたと見られる壇は、天文學(xué)界から世界最古の同類の建築物とされている。偏壺に刻まれている文字はまだ特定されていないが、圧倒的多數(shù)の學(xué)者は現(xiàn)在までに発見されているうち最古の漢字と判斷している。貴族の墓から出土した多くの玉石戉は、王権が同遺跡の社會で主導(dǎo)的な地位を占めていたことを示す。ごく少數(shù)の王墓と多數(shù)の平民の墓、貴族および平民の住宅の規(guī)模、敷地の処理技術(shù)と位置の上下の差は、同遺跡の社會にピラミッド型の身分関係があったことを示している。一部の學(xué)者は、これを階級制の現(xiàn)れとしている。
王所長はまた、「一連の考古調(diào)査の証拠によると、同遺跡の年代、地理的位置、中身、規(guī)模、等級、同遺跡が示す文明の程度は、堯の都と一致する?,F(xiàn)在は判斷が下せる段階ではないが、堯の都は発掘調(diào)査と研究により伝説の時代から抜け出し、確実な史実に変わろうとしている」と話した。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年6月26日
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