三菱マテリアル株式會社(もと三菱鉱業(yè))が米ロサンゼルスで19日、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となった後、鉱山で強(qiáng)制労働を強(qiáng)いられた約900人の元米兵捕虜に対し、謝罪の言葉を伝えた。元米兵捕虜900人を代表して謝罪を受けたジェームズ?マーフィー氏(94)は、強(qiáng)制労働を強(qiáng)いられた元米兵捕虜の中で、今も健在である2人のうちのひとり。新華網(wǎng)が伝えた。
1944年9月、マーフィー氏を含む米兵捕虜は、秋田県花輪にあった三菱鉱業(yè)尾去沢鉱山に強(qiáng)制連行され、まるで奴隷のような過酷な労働を強(qiáng)いられ、そのような悲慘な狀況は終戦まで続いた。
三菱マテリアルの木村光常務(wù)執(zhí)行役員が、マーフィー氏に対して謝罪の言葉を述べ、「三菱鉱業(yè)の事業(yè)を引き継いだ企業(yè)として、我々は、過去の悲劇に対する道義的責(zé)任を重く受け止めている」と話した。
しかし、木村氏と三菱マテリアルの謝罪は、これで終わった訳ではない。むしろ、この謝罪は、マーフィー氏を利用して、世間に対する自らの立場を有利にしようとするものだ。
実のところ、日本軍國主義と三菱鉱業(yè)など日本企業(yè)が侵害した対象は、マーフィー氏ら米兵捕虜だけにとどまらない。日本側(cè)の資料によると、少なくとも493人の中國人労働者が、マーフィー氏と同じように、尾去沢鉱山に連行され過酷な労働を強(qiáng)いられた。
中國人労働者の境遇は、米兵捕虜より更に悲慘だった。日本政府が戦後発表した報(bào)告書によると、三菱鉱業(yè)は戦時中、日本國內(nèi)にある12カ所の工業(yè)拠點(diǎn)や鉱山において、計(jì)3765人の中國人労働者を奴隷のように酷使、うち約720人が死亡した。尾去沢鉱山では、86人の中國人労働者が死亡した。
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