中國侵略日本軍の元兵士?本多立太郎は盧溝橋で跪き、中國侵略戦爭での自らの罪に懺悔を示した。
そのうちの本多立太郎に、方氏が直接會った回數(shù)はそれほど多くはない。だが長年にわたって交わした手紙は100通を超える。二人は自著を贈り合う仲でもある。本多は、中國侵略戦爭に兵士として參加する前、朝日新聞社に勤めていた。戦爭が終わって帰國した後、一人で新聞社を設(shè)立した。この世界最小の新聞社で、本多氏は原稿を一人で組み、一人でレイアウトを考え、一人で印刷し、一人で配布した。紙面には、日本人の投稿が數(shù)多く掲載され、戦爭への見方や社會への評論や批判など様々な記事が盛り込まれた。手書きの小さな新聞で、配布は郵便局を通じて行っていた。方氏が本多氏から受け取った手紙の多くにはこの新聞が添えられていた。
本多氏は新聞の発行だけでなく、日本各地での講演も精力的にこなした。1986年2月から30年近く行い、その回數(shù)は1000回以上、聴衆(zhòng)は累計18萬人以上に達した。1931年から1945年まで日本が行った中國侵略戦爭を反省し、戦爭體験者として、中國の戦爭捕虜を自分がいかに殺したかを日本の人々に伝えた。日本が教科書を通じて本當(dāng)の歴史を若い世代に伝えることを訴え、書中では、「また戦爭を起こしたいという人がいるなら、まずその戦爭という列車で私をひいてから行け!」と書いている。
方氏は、日本人は、右翼の考えを持つ人も含め、戦爭に參加した日本人元兵士の考えや思想をまず聞いてみるべきだと主張する。田中角栄や大平正芳、中曾根康弘など戦爭に參加したことのある日本の指導(dǎo)者も中日友好推進の歴史的プロセスで何をしてきたかを振り返ることも大切だ。日本の現(xiàn)政権にはとりわけ、以前の世代がしたことを反省し、中國と友好的に付き合うことが求められる。そうすることこそが日本にとって唯一の発展の道でもある。
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