醍醐寺蕓術(shù)秘寶展で展示された文化財。
東伝した中國文化、今も日本に
平安時代に作成された「訶梨帝母像」は中國の伝統(tǒng)蕓術(shù)が東伝して日本に渡ったことを証明する最も顕著な例だ。今回展示が予定されている「訶梨帝母像」の中央に描かれた人物は中華風(fēng)の冠を頭に、肩にはとがった形の飾りをつけて、つま先が反りあがった沓を履き、半跏趺坐で床に座っている。背後には三面の屏風(fēng)が描かれ、左手に乳飲み子を抱きかかえ、右手には多産の象徴である石榴を手に、その足元には別の子供が1人遊んでいる。上海博物館青銅部の師若予研究館員は取材に対し「中國の五代期にも『大理國梵像図』という作品があり、その中にも子供を抱いて寢臺の上に座っている訶梨帝母に類似したイメージのものがある。この絵畫の色彩はほとんど落ちてしまっているが、尊像を描きだす薄墨の輪郭線は躍動的で服裝への色付けは細(xì)緻を極めていおり、南宋絵畫の特徴を有していることから、12世紀(jì)の絹本絵畫であろうと推測されている」と語った。
日本史において、中國から仏教を伝えたのは何も空海一人に限ったことではない。展示されている宋版一切経(一部)は別の高僧が空海の足跡を継いでいる証となる文化財。醍醐寺で出家した俊乗房重源で、3度中國に訪れ合計6096帖の一切経を日本へ持ち帰っている。その千年余りもの時を経た経書は今も完全な狀態(tài)で醍醐寺に保管されている。醍醐寺の第103代座主である仲田順和は「中國で展示を行うことで、その昔、中國から伝わった文化が日本で秘寶として今日まで殘されていることを是非見てもらいたい」と語った。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年5月11日
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