■日本の中國侵略の悪だくみを裏付ける歴史公文書
瀋陽市公文書館はこのほど、瀋陽県公署歴史公文書14巻を公表した。これらの貴重な公文書は、日露戦爭終結(jié)から「九一八事変」までに日本人が瀋陽地區(qū)で不法な警察機(jī)関設(shè)置、情報(bào)収集活動、土地?資源略奪、移民などの侵略活動を行ない、全面的中國侵略戦爭発動のために政治、経済、軍事など全面的な準(zhǔn)備を腐心して進(jìn)めていたことを改めて示すものだ。
公文書によると、1904~1905年の日露戦爭後、日本は南満鉄道及び全ての支線の資産と炭鉱の権益を取得した。これらの権益は経済的権益に過ぎず、日本は満足しなかった。1905年1月、日本は渾河駅に瀋陽地區(qū)初の警察官吏派出所を設(shè)置し、日本人警察1名を駐在させた。1918年3月、日本領(lǐng)事館は呉家荒地區(qū)にも派出所を設(shè)置し、日本人警察1名を駐在させた。1930年12月28日までに日本が瀋陽県に不法に設(shè)置した警察機(jī)関は14カ所、日本の警察は17人に上った。日本は不法に設(shè)置したこうした警察機(jī)関を利用して、中國國內(nèi)で勝手なことをし、中國人を捕え、殺害し、中國の主権を侵害した。日本による中國での情報(bào)収集活動は非常に入念であり、南満州鉄道株式會社の専門調(diào)査科は、事実上情報(bào)機(jī)関だった。公文書によると、南満州鉄道株式會社の佐田弘治郎調(diào)査課長は1914年7月2日から4回にわたり、瀋陽県公署に書簡を送り、瀋陽県の農(nóng)業(yè)狀況などを調(diào)査した。瀋陽県の報(bào)告書によると、調(diào)査內(nèi)容は各時期の農(nóng)作物の種類、耕作面積、収穫狀況、県內(nèi)の耕作可能面積、人口などの非常に詳細(xì)だ。瀋陽市公文書館の王梓■(火へんに習(xí))管理利用処長は「農(nóng)作物の狀況の調(diào)査は侵略とは無関係に見えるが、実際には経済的略奪のためだ」と述べた。
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