▽薄れゆく「匠の心」
第二次世界大戦後の日本は製造業(yè)を國の振興の柱とし、世界レベルのメーカーが次々に生まれた。ソニーの創(chuàng)業(yè)者?盛田昭夫氏はかつて、「米國人が弁護士を育てるのに忙しかった頃、日本はエンジニアの育成にもっともっと力を入れていた」と誇らしく語っていた。
強い製造業(yè)が1980年代の日本に「米國にNOと言える力」を與えた。だがそれ以降は製造業(yè)の凋落が始まり、特に21世紀に入ってからは國內総生産(GDP)に対する製造業(yè)の割合がかつての25%から20%足らずへと低下していった。
日本の製造業(yè)はシェアが低下しただけでなく、生産効率の低下という苦境にも陥った。このほど発表されたデータをみると、日本製造業(yè)の労働生産性は95年以降で最低を更新した。労働生産性は労働者一人當たりの労働の効率を示す數値で、日本は15年は9萬5063ドル(1ドルは約106.9円)で5年前に比べて10%減少し、経済協(xié)力開発機構(OECD)の主要加盟國29か國のうち14位だった。00年まではずっと1位だったが、その後は順位が大幅に後退し、優(yōu)位性を失った。
日本の製造業(yè)が輝きを失った原因はさまざまだ。大きな環(huán)境ということでいえば、製造業(yè)の低下と日本の高齢化社會には密接な関係がある。人口減少問題に直面して、日本の國內市場は中長期的には縮小が予想され、海外での現地生産がしきりに推進されている。構造的な変化を無視して、工場の現場のラインに頼るこれまでのやり方ではもはや時代に追いつけない。また生産年齢人口が減少し、かつて盛田氏が誇ったエンジニアの軍団も縮小するばかりだ。
このほか日本経済の「失われた20年」の間に、日本企業(yè)の多くは社員の士気が低下し、職業(yè)道徳が退廃する現象に見舞われた。社員の責任感も愛社精神もかつてとはガラリと変わり、日本の誇る「匠の心」も衰退した。表面的に競爭力を維持するため、一部の企業(yè)はやむを得ず偽造という手段に手を染めた。「匠の心」による支えを失った日本製造業(yè)は、その輝きが失われつつある。(編集KS)
「人民網日本語版」2018年3月14日
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