塚本慶一教授(資料寫真)
「中日同時(shí)通訳の第一人者」と呼ばれた日本杏林大學(xué)教授の塚本慶一氏が7月11日が病気のため亡くなった。享年70歳。人民網(wǎng)が伝えた。
塚本氏は東京外國語大學(xué)中國語學(xué)科を卒業(yè)後、中國語通訳者?翻訳者として活躍する一方、中日両國の文化交流活動(dòng)にも深く関わった。ベテラン同時(shí)通訳者として、40年以上にわたり、中日両國の指導(dǎo)者の會(huì)談などでの通訳を數(shù)多く務(wù)めたほか、『中國語通訳への道』など中國語に関する著書も多數(shù)ある。
また、中國においては北京大學(xué)日本語MTIセンター名譽(yù)センター長を務(wù)めただけでなく、北京語言大學(xué)や北京第二外國語學(xué)院、北京外國語大學(xué)で客員教授を務(wù)めた。塚本氏の訃報(bào)に際し、このほど北京第二外國語學(xué)院が下記の追悼文を人民網(wǎng)に寄せた。
追悼文の全文は以下の通り。
追悼文
偉大だった塚本慶一先生の余りにも早いご逝去の報(bào)に接し、申し上げる言葉がございません。
生前、通訳の最高峰であられた慶一先生に本學(xué)北京第二外國語學(xué)院がどれほどお世話になり、ご指導(dǎo)を頂戴してきたかは表現(xiàn)できません。本學(xué)の客員教授としてだけでなく、日中翻訳研究會(huì)の日本側(cè)代表、全國通訳大會(huì)の審査員長は10年にもわたってご無理をお願(yuàn)いしてきました。また、慶一先生に直接お世話になった本學(xué)の教員、學(xué)生は數(shù)え切れません。毎年多い時(shí)は4名もの學(xué)生が留學(xué)中直接ご指導(dǎo)をいただき、最高峰の通訳技術(shù)、経験、そして先生の情熱に皆が感動(dòng)していました。學(xué)生だけでなく、幾名かの教員もその先生のご指導(dǎo)を直接受ける幸運(yùn)に恵まれ、生涯の原點(diǎn)となっています。北京第二外國語學(xué)院の日本語學(xué)院は先生あっての今があります。日本だけでなく、中國、また中國人にとっても慶一先生はまさに寶の存在でした。ご家族様のお悲しみをお察し申し上げますとともに、長文となりましたが、茲に謹(jǐn)んで哀悼の意を表します。
北京第二外國語學(xué)院日本語學(xué)院一同
「人民網(wǎng)日本語版」2018年7月13日
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