「ホール中央でライトに照らされている『犠牲者30萬人』という文字が入った展示品は、犠牲者に対する追想を際立たせている。これは生存者の寫真。左右に貼られているのは既に亡くなった生存者の白黒寫真」と説明する吉川淳子さん(61)は、中國侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館のホールに立ち、こうした歴史を蘇らせようとしているかのように、流ちょうな中國語で語った。新華網(wǎng)が報じた。
大阪出身の吉川さんは、小學6年の時に自分でラジオを組み立てたのをきっかけに、中國語と出會った。夜10時以降に電波にのって流れる中國語を聴いて、吉川さんは「シエシエ(ありがとう)」、「ニーハオ(こんにちは)」といった中國語を覚えたという。そして中國語好きが高じて、大學生時代には、大學の中國語クラスにも參加した。 1978年と1997年には、吉川さんは中國を訪問し、湖北省の武漢二七紀念館や湖南省長沙市の馬王堆漢墓、重慶市の白帝城などを見學した。そして、3度目の中國訪問となった2009年、吉川さんは、北京化工大學に入學し、さらに2011年には、北京中醫(yī)薬大學に入學して醫(yī)學を?qū)Wび始めた。同大學の學部を卒業(yè)し、修士課程も修了した後、吉川さんは南京にやって來た?!缸蚰?月に南京に來た。ネットで中國侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館がボランティアを募集しているのを見て、応募した」と話す吉川さんは、中國語に精通しており、日本で近代史を?qū)煿イ筏皮い郡长趣猡ⅳ辍⒅鳏耸妨悉畏U作業(yè)に攜わり、時にはガイドを務(wù)めることもあるのだという。
「私は中國と日本の架け橋になりたい。そして、ごく一般的な日本人として、日本人に、特に日本の若者に、南京大虐殺の歴史を伝えたい」と吉川さん。
とても明るい性格の吉川さんは、情に厚く、もてなすのが好きな中國の人々が好きなのだとしており、「中國にいても、自分の家のような気分。買い物に行ったり、おしゃべりをしたり、太極拳を練習したり、広場でダンスをしたり」と、南京に完全に溶け込んで暮らしている?,F(xiàn)在、吉川さんは南京で好きな人にも出會ったといい、「一生中國にいるわ」と話している。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年3月27日