上海で3月1日から4日まで開催された「第29回中國(guó)華東輸出入商品交易會(huì)(華交會(huì))」に出展した杉山悟志さん(53)は、今回の展示會(huì)で、數(shù)多くの「人生初」を経験した。杉山さんは今回初めて中國(guó)を訪れ、初めて中國(guó)の展示會(huì)に出展し、初めて日本國(guó)內(nèi)市場(chǎng)以外にビジネスの場(chǎng)を拡大し、初めて自分のデザインする陶器製人形を、その文化の源である「故郷の中國(guó)」に持ち帰ったのだ。新華網(wǎng)が伝えた。
杉山さんは、日本の中部にある三重県伊勢(shì)市の出身。19年前、伊勢(shì)神宮を訪れた観光客からヒントを得て、小さな紙片が入った陶器製人形を生み出した。紙片は人形の中に丸めて入れられており、そこには神社のおみくじのような様々な祝福や祈願(yuàn)の言葉がしたためられている。人々は緊張と期待に胸をドキドキさせながら、人形の中から紙片を取り出し、折り畳まれた紙を開くことになり、この小さな陶器製人形を一層可愛らしく神秘的にし、人々の心を躍らせている。
杉山さんの會(huì)社は、従業(yè)員2、30人ほどの小さな會(huì)社だが、日本國(guó)內(nèi)におけるその陶器製人形の販売數(shù)は年間100萬(wàn)體以上に達(dá)し、そのアイデアがもたらしている価値は計(jì)り知れない。これらの陶器製人形のデザインは各種動(dòng)物から太古の恐竜、今風(fēng)の自動(dòng)車など幅広く展開しており、その販売先も寺社だけでなく観光地や企業(yè)PRとして、さらには子供のおもちゃや教育分野などにまで展開している。
杉山さんは、「我が家は祖父の代から表具師の職に就き、その表裝技術(shù)を受け継いで自分で三代目となる。若い時(shí)は、普通の見習(xí)いと全く同じ扱いで、12年間にわたり、辛く苦しい修行を続けた。こうした修行の中で、漢字の書道について學(xué)ぶことも少なくなかった。実際現(xiàn)在もある日本の書家を師と仰いでいる」と話す。
華交會(huì)の展示総面積は12萬(wàn)平方メートルを上回り、約4千社が出展し、うち中國(guó)市場(chǎng)向けに展開する海外企業(yè)は約450社出展した。杉山さんは、自社ブースに各シリーズの陶器製人形を所狹しと並べただけではなく、自身が最も得意とする表裝の技を披露するための小さなブースも特別に設(shè)けた。杉山さんがその日、身に著けていたのは藍(lán)色の和服だったが、彼が手にしていた畫仙紙や糊、刷毛などはいずれも中國(guó)人にとって、見慣れたものであり、とても身近に感じさせるものだった。
「私が陶器製人形と表裝を一つの場(chǎng)所に共存させている背景には、ある一つの考えからだ。それは悠久の歴史と奧深さを備えた伝統(tǒng)文化と比べ、現(xiàn)代の商品やそのアイデアは『氷山の一角に過ぎない』ということだ。蕓術(shù)の創(chuàng)造には、長(zhǎng)年の積み重ねが必要であるのと同様、企業(yè)経営にも、堅(jiān)実な文化の積み重ねが求められる」と杉山さん。
福建省アモイ(廈門)市の宋鑫さんは、杉山さんの中國(guó)市場(chǎng)におけるエージェント。杉山さん同様、陶製品の販売を手掛けてきた宋さんにとって、その商品の単なるコピーを作るのではなく、輸入代理を行おうと決めた裏には、杉山さんの文化的なアイデアを認(rèn)め、尊敬の念を抱いたからだという。
陶器製人形のインスピレーションが中國(guó)伝統(tǒng)文化から得たものであれば、杉山さん自身からも、中國(guó)企業(yè)が學(xué)び手本とすべき點(diǎn)が多々あると宋さんは考える。それは、文化や伝統(tǒng)への愛、そして伝承や革新だ。小さな人形の中には、中日交流と互いに學(xué)び合おうとする心を宿しているといってもいいかもしれない。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年3月11日