小劉固農(nóng)場(chǎng)のビニールハウスでトマトの世話をする川崎広人さん(撮影?張浩然)。
「僕のお墓を用意してほしい。僕はここに骨を埋めるつもりだから」と、これは中國(guó)へ戻った川崎広人さん(72)が、李衛(wèi)さんに會(huì)った時(shí)に最初に言った言葉だ。新華社が報(bào)じた。
河南省新郷市原陽(yáng)県小劉固農(nóng)場(chǎng)のオーナーである李さんは、川崎さんのこの決意を聞いて感動(dòng)したという。
農(nóng)業(yè)や漁業(yè)が盛んな日本の巖手県から來(lái)た川崎さんは、微博(ウェイボー)のアカウントを開設(shè)しており、そのフォロワーは27萬(wàn)人もいるが、4年前はその數(shù)が300人にも満たなかった。微博を通して、多くの中國(guó)人が川崎さんの名前を知り、そして徐々に川崎さんが行う「堆肥」を使った「循環(huán)型農(nóng)業(yè)」に対する理解も深まってきた。
川崎さんは大學(xué)で農(nóng)業(yè)経済學(xué)を?qū)Wんだあと、インドネシアに留學(xué)して修士號(hào)を取得。そして、農(nóng)業(yè)研究所の仕事を辭めた後、長(zhǎng)年にわたってある農(nóng)業(yè)協(xié)同組合に勤めた。定年退職後の2009年には、中國(guó)の青島農(nóng)業(yè)大學(xué)に招かれ1年間勤務(wù)した。
青島で勤務(wù)したその1年間で、川崎さんは中國(guó)の多くの農(nóng)村で家畜の糞便が未処理のまま田畑にまかれ、ときには用水路に捨てられて環(huán)境汚染の原因になっているのを目撃した。その他、化學(xué)肥料や農(nóng)薬が大量に使われていることが原因で、土壌が固くなり、農(nóng)作物の品質(zhì)や生産量にも影響を及ぼしていることにも気がついた。
自分の最後の力を捧げる場(chǎng)所を見つけたと感じた川崎さんは、中國(guó)で循環(huán)型農(nóng)業(yè)を広める決意を固めた?!弗惟`マン?ベチューンが中國(guó)の醫(yī)療に貢獻(xiàn)したように、僕も中國(guó)の農(nóng)業(yè)に貢獻(xiàn)したい」と話す川崎さんは、「妻に中國(guó)で仕事をしたいと話すと、妻は僕が彼女のことが嫌いになったと勘違いしていた」と笑顔で振り返る。
川崎さんは67歳だった13年、30キロ以上の荷物を背負(fù)って中國(guó)で、「循環(huán)型農(nóng)業(yè)」をめぐる夢(mèng)を?qū)g現(xiàn)できる場(chǎng)所を探し始めた。しかし、甘粛省から一路東へ向かったものの、奔走するばかりでなかなか自分と同じことを目指す「知己」を見つけることができなかった。そんな中、知人の紹介でたどり著いたのが李さんの農(nóng)場(chǎng)だった。
以前は新聞?dòng)浾撙坤盲坷瞍丹螭?、父親?李敬齋さんの養(yǎng)豚場(chǎng)を引き継いだ後、多額の資金を投じて有機(jī)農(nóng)場(chǎng)への転換を試みたものの、市場(chǎng)を開拓できなかった。
「私と川崎さんはどちらも循環(huán)型農(nóng)業(yè)をしたいと思っていた。でも、私は以前は循環(huán)させることしか知らず、付加価値を高める加工をすることを思いつかなかった。川崎さんは小麥を粉にして麺を作り、売ってみるように勧め、これが私に著想を與えることになった。川崎さんに言われた通りに肥料をやると、農(nóng)場(chǎng)の小麥がすくすく育ち、とてもうれしかった」と李さん。
川崎さんは、夢(mèng)を葉えるためにそこに留まるよう誘ってくれた李さんの所に喜んで腰を落ち著けたものの、堆肥はコストが高い上に、使うのにも手間がかかり、循環(huán)型農(nóng)業(yè)の普及は思い描いていたほど順調(diào)に進(jìn)まなかった。また、暮らしていく上でも文化の違いなどから様々な問題にも直面した。
まず、言葉の問題だ。中國(guó)語(yǔ)の勉強(qiáng)を始めた時(shí)、川崎さんは既に63歳だった。小劉固村の村民?李海濤さんは、「川崎さんが來(lái)たばかりの時(shí)は冬で、『銭湯に連れて行ってほしい』と中國(guó)語(yǔ)で書いた紙を私に見せた。だから、街まで一緒に行った。彼はお風(fēng)呂が大好きだ」と笑顔で振り返る。
2015年冬、農(nóng)場(chǎng)のハウス35棟が猛吹雪で倒壊してしまった。損失は甚大だったものの、川崎さんが微博で支援を求めると、多くの注文が集まり、數(shù)日のうちに約7萬(wàn)元(1元は約16.09円)分の農(nóng)産品が売れた。そして、農(nóng)薬や化學(xué)肥料を使っていない農(nóng)産物が好評(píng)を博した。一度は破産の危機(jī)に陥った農(nóng)場(chǎng)は、川崎さんのおかげで徐々に好転の兆しをみせるようになった
川崎さんは、循環(huán)型農(nóng)業(yè)の普及が一朝一夕で実現(xiàn)できることではないことを承知している。農(nóng)場(chǎng)は中國(guó)全土に向けた研修の取り組みをスタートさせたほか、日本の農(nóng)業(yè)企業(yè)とも協(xié)力して、若手就農(nóng)者の育成に取り組んでいる。
今年河南師範(fàn)大學(xué)を卒業(yè)した劉炎さんは、「來(lái)年、日本の農(nóng)業(yè)企業(yè)で2年間勉強(qiáng)する予定」と話す。
チベット族の男性?旦正加さん(18)と拉毛加さん(19)も、堆肥工場(chǎng)や野菜を育てるビニールハウスで、川崎さんにノウハウを?qū)Wんでいる。現(xiàn)在、川崎さんは早朝にビニールハウスに入り、トマトの剪定をしたり、ヒモを整えたりしており、その橫では、研修に來(lái)た若者たちがその手伝いをしている。
冬本番の今、農(nóng)場(chǎng)は冷たい風(fēng)が吹いて底冷えがするものの、ビニールハウスの中は春のような溫かさだ。日本の大玉トマト「麗夏」の種約1500粒が育苗箱に植えられ、発芽の日を待っている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年12月28日
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