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中日友好の懸け橋となり続ける「戲曲」 (2)

人民網(wǎng)日本語版 2019年05月08日10:06

坂東玉三郎は6歳の時に、小児麻痺を患い、後遺癥のリハビリにと日本の伝統(tǒng)舞踴を習(xí)い始めた。子供の頃、祖父から度々京劇や梅蘭芳について聞き、家の壁には梅蘭芳の寫真が貼られ、書斎には梅蘭芳に関する書籍や資料がたくさんあったという。

■飛會長によると、坂東玉三郎は20歳の時に、養(yǎng)父である十四代目?守田勘彌に、「今後、どのような道を歩みたいのか?」と聞かれ、「梅蘭芳のような役者になりたい」と答えたという。その後、歌舞伎役者として有名になり、日本の演劇界で人気を高めるにつれ、彼のその願いはさらに強(qiáng)くなっていった。そのため、當(dāng)時、人気絶頂期だった1986年、北京に足を運んで、梅蘭芳の息子でやはり女形の梅葆玖を訪ね、京劇の「貴妃酔酒」の表現(xiàn)方法や動きを?qū)Wび、「玄宗と楊貴妃」という歌舞伎作品を作った。

2007年、中國対外文化交流協(xié)會のサポートと企畫の下、當(dāng)時57歳だった坂東玉三郎は、崑曲「牡丹亭」の歌舞伎作品を作る計畫を立てていた。しかし、江蘇省蘇州で、汪世瑜と張継青が出演する「牡丹亭」を見た後、張継青が演じる杜麗娘を一目見て魅了され、歌舞伎作品に変えるのではなく、崑曲の「牡丹亭」を?qū)Wぶことにした。

2008年3月、坂東玉三郎は蘇州崑劇院と提攜して、中日版崑曲「牡丹亭」の上演を、京都南座劇場で行った。坂東玉三郎は杜麗娘を演じ、その自然な臺詞、表現(xiàn)方法、流れるような仕草で観客を魅了し、好評を博した。その後、同作品は北京、蘇州、上海でも上演され、満員御禮の大人気となり、中日戲劇アート交流の新たな章の幕開けとなった。

2010年、上海國際博覧會が開催された際、坂東玉三郎、梅葆玖、シテ方観世流能楽師?関根祥六は、上海國際蕓術(shù)祭で「楊貴妃」で共演。中國の京劇、日本の歌舞伎、能楽のコラボレーションを披露し、世界に向けてアジアの戲劇の獨特の魅力をPRした。(編集KN)

「人民網(wǎng)日本語版」2019年5月8日

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