新中國(guó)成立70周年に當(dāng)たり、日本の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)殘留孤児謝恩訪中団の一行34人は17日、4回目の訪中の旅に出発した。22日夜、北京市の北京好苑建國(guó)酒店で同訪中団を歓迎するパーティーが開かれ、中日友好に努めてきた各界の人々が集った。人民網(wǎng)が伝えた。
中日友好協(xié)會(huì)の許金平副會(huì)長(zhǎng)、中國(guó)帰國(guó)者?日中友好の會(huì)の池田澄江理事長(zhǎng)、在中國(guó)日本國(guó)大使館の堤尚広公使が歓迎パーティーに出席し、挨拶を述べた。
許金平副會(huì)長(zhǎng)は歓迎の挨拶のなかで、「新中國(guó)成立70周年に當(dāng)たり、みなさんがご高齢にもかかわらず再び訪中してくださったことに、深く感銘を受けた。中國(guó)の故郷の親戚や友人も常にみなさんのことを気にかけている。中日両國(guó)は一衣帯水の関係で、2千年以上の長(zhǎng)きにわたる友好的交流の歴史があるが、近代の歴史における不幸な戦爭(zhēng)によって、両國(guó)人民に甚大な災(zāi)難がもたらされた。歴史は鏡のようなものだ。我々は真摯にそれを心に刻んで初めて悲劇が繰り返されるのを避けることができる。みなさんには中日友好の経験者として、自身の獨(dú)自の影響力を十分に発揮し、両國(guó)人民の間に平和と友好の橋を架け、両國(guó)人民の相互理解と友好的感情を絶えず増進(jìn)していくことを心から願(yuàn)っている」と述べた。許副會(huì)長(zhǎng)はさらに、「中日関係はすでに新たな歴史のスタート地點(diǎn)に立っている。新たな情勢(shì)下で、両國(guó)の各界の人々は引き続き友好の信念をかため、絶えず友好事業(yè)の內(nèi)容を充実させ、中日の友好に新たな原動(dòng)力を注ぎこんでいくべきだ」と指摘した。
2年ぶりの中國(guó)再訪となった今回、訪中団団長(zhǎng)を務(wù)める池田澄江氏は感慨を込め、「周知の通り、私たち帰國(guó)者は特殊なグループだ。私たちの大多數(shù)にとって、中國(guó)は故郷であり、日本は祖國(guó)。どちらも離れがたい。日本で唯一認(rèn)定資格をもつ帰國(guó)者団體として、私たちは帰國(guó)者の良いイメージを築くよう努力している。中國(guó)の四川省や日本の福島県、熊本県が自然災(zāi)害に遭った後は、最大限力を盡くして現(xiàn)地に人や物資、経済的な面での支援を行った。日本で困っている華人にも無償で関連サポートを提供している。現(xiàn)在、私たちにとって最も差し迫った仕事は、私たちが経験したことを後世に伝え、戦爭(zhēng)と孤児の悲劇を繰り返さないようにすることだ」と述べた。
堤尚広公使は、「訪問団のみなさんが経験してきた苦労は私の想象をはるかに超えてる。しかしみなさんは広い心と思いやりを持つ養(yǎng)父母の恩を決して忘れていない。それぞれの人生経験と中國(guó)への熱い気持ちを抱いたみなさんが、日中交流活動(dòng)に積極的に取り組んでいるのを目にして、言葉では言い表せないほどの感慨を覚えた。心からの敬意を表したい。本日、日本では新天皇の『即位禮正殿の儀』が行われ、また今年は中華人民共和國(guó)成立70周年でもある。この特別な年の特別な日に訪中団メンバーのみなさんを迎えることができたのは、特別な縁があったからに違いないと思う。みなさんが健康で、長(zhǎng)生きされ、そして日中関係が発展していくことを願(yuàn)っている」と述べた。
日本の殘留孤児は日本の中國(guó)侵略戦爭(zhēng)敗戦後に両親と離散、または中國(guó)で遺棄された後、中國(guó)の養(yǎng)父母に育てられた日本の子供を指す。中國(guó)帰國(guó)者?日中友好の會(huì)は日本の殘留孤児が自発的に設(shè)立した団體で、積極的に中日友好事業(yè)に盡力し、2009年、2015年、2017年の3回にわたり訪中団を組織して訪中した。
訪中団一行は10月17日から26日にかけて北京や四川を訪問する。18日には四川省眉山市仁壽県教育発展促進(jìn)會(huì)を訪れ、計(jì)百萬円を寄付した。今後數(shù)日間、北京市內(nèi)を視察し、中國(guó)伝媒大學(xué)を訪問する予定となっている。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年10月24日