2019年淮陽(yáng)平糧臺(tái)考古チーム長(zhǎng)を務(wù)める北京大學(xué)準(zhǔn)教授の秦嶺氏は「河南淮陽(yáng)平糧臺(tái)遺跡で見(jiàn)つかった轍の跡は今から少なくとも4200年前のもので、中國(guó)でこれまで見(jiàn)つかっているうちで最古だ。これは中國(guó)における車(chē)輪の発明、車(chē)の起源の研究に対して重要な學(xué)術(shù)的価値を持つ」と述べた。新華社が伝えた。
このほど開(kāi)かれた河南省文物考古研究院2019年度考古成果交流報(bào)告會(huì)では、秦氏が発表したこの研究成果は學(xué)術(shù)界から注目を集めた。
説明によると、発掘作業(yè)員は遺跡南城門(mén)付近で古代道路の路面を発見(jiàn)した。路面の各所の轍の跡は幅0.1?0.15メートル。最も深い箇所は0.12メートルで、最も目立つ轍の長(zhǎng)さは3.3メートル。ある轍は2本並行で、間に0.8メートルの間隔があった。専門(mén)家は初期的に、「二輪車(chē)」の轍の跡と判斷した。
秦氏は「轍の跡の年代を直接測(cè)定することができないため、研究者は路面に轍の跡が殘されている竜山時(shí)期墓葬の年代測(cè)定データから判斷すると、路面及び轍の使用が今から少なくとも4200年前とした」と述べた。
発掘作業(yè)員は河南偃師二里頭遺跡で夏の時(shí)代の轍を発見(jiàn)し、中國(guó)の車(chē)使用の歴史が今から3700年ほど前に始まるとした?;搓?yáng)平糧臺(tái)遺跡の轍の発見(jiàn)により、中國(guó)の車(chē)の起源がさらに500年以上遡ることになった。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2020年1月16日