資料寫(xiě)真:2018年8月14日、「慰安婦」記念日に南京利済巷慰安所舊址陳列館を見(jiàn)學(xué)し、「無(wú)言の訴え」を聞く人々(撮影?泱波)。
今月14日、10回目となる「慰安婦」記念日を迎えた。第二次世界大戦中だった1931年から1945年にかけて、アジアの女性約40萬(wàn)人が舊日本軍の「慰安婦」として連行された。そのうち、約20萬(wàn)人が中國(guó)人女性だった。
中には毆打、強(qiáng)姦された女性、子宮が変形してしまった女性、暴行されて亡くなった女性などもおり、殘虐行為の甚大な被害を受けた。
中國(guó)大陸部では今年、中國(guó)侵略日本軍の「慰安婦」被害者である女性4人がこの世を去った。
郴州の女性(本人と遺族の意向で情報(bào)非公開(kāi))
今年1月30日、湖南省郴州市で暮らしていた中國(guó)侵略日本軍の「慰安婦」被害者が亡くなった。享年101歳。
1922年生まれのこの女性は1938年に、舊日本軍の殘虐な性的暴行を受けた。女性は慰安所を離れた後、故郷には戻らず、湖南省郴州市で晩年を過(guò)ごしていた。
章さん(本人と遺族の意向で情報(bào)非公開(kāi))
春節(jié)(舊正月)の前日だった今年1月31日、湖南省で暮らしていた「慰安婦」被害者の章さんが亡くなった。享年95歳。
李淑珍さん
今年3月11日、「慰安婦」被害者としては最年長(zhǎng)だった李淑珍さんが湖南省平江県で亡くなった。享年108歳。
1915年10月に湖南省平江県で生まれた李さんは1944年、平江県に舊日本軍が侵攻した際、3度は村民と共に山に逃げることができたものの、4度目に逃げ遅れて捕まり、山のふもとの舊日本軍の臨時(shí)拠點(diǎn)に連行された。そして、舊日本軍から性的暴行を受け、少しでも不満を示すと、毆る蹴るの暴行を受けたという。その後、舊日本軍の拠點(diǎn)に連行され、體が限界になるまで虐待を受けた後、遺棄され、家族に救出された。
雷金二さん
今年6月30日、「慰安婦」被害者の雷金二さんが亡くなった。享年98歳。
1925年7月25日に湖南省華容県で生まれた雷さんは1943年、不幸にも舊日本軍に捕まって拠點(diǎn)に連行され、毎日何度も性的暴行を受けた。その後、家族によって救出された。
當(dāng)時(shí)、舊日本軍が侵攻してきた際、雷さんは5歳の女の子?張二英さんを救ったものの、自分は舊日本軍に捕まってしまった。張さんは、命の恩人である雷さんに非常に感謝しており、心の中で雷さんを「母親」のように敬ってきた。そして、數(shù)十年かけて探し出し、2021年11月についに雷さんと再會(huì)。當(dāng)時(shí)のことを語(yǔ)り合い、抱き合って涙を流した。
「慰安婦」となり、苦難の日々を送って來(lái)た女性たちの心から、その傷が癒えることは一生ないだろう?,F(xiàn)時(shí)點(diǎn)で、中國(guó)大陸部で登録され、生存している「慰安婦」被害者は20人足らずで、歴史の証人は高齢となっている。彼女たちは謝罪の言葉を今でも待っており、彼女たちが流した血と涙を決して忘れてはならない。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2022年8月15日