「ニュース放送」の現(xiàn)場(chǎng)。(撮影?朱玲巧)
毎朝7時(shí)30分になると、浙江省臺(tái)州臨海市上盤鎮(zhèn)金杏燈村の出入口で、「ニュース放送」が定刻通りに始まる。30數(shù)人のシニアの「熱心なファン」が「放送パーソナリテ?!工驀欷摺⑴d味津々で耳を澄ます。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。
パーソナリティはこの村に住む王掌桂さん(80)だ。25年にわたり、この場(chǎng)所でほとんど途切れることなく「ニュース放送」を続けている。毎朝午前に1時(shí)間、暮らしのニュースや政府の農(nóng)家優(yōu)遇政策のニュース、さらには國(guó)際情勢(shì)のニュースまで「放送」し、村民と外の世界が交流するための有効な架け橋の一つとなっている。
王さんは眼鏡、ペン、ノート、お茶のカップを持ち、毎朝7時(shí)にスクーターで家を出る。王さんの娘の利美さんは、「出勤よりも時(shí)間が正確で、10數(shù)分でも遅れると、家の電話が鳴り出す。間違いなく父が來(lái)るのを待ちわびているファンからの電話だ」と話す。
數(shù)十人の視聴者のために、ボランティアで25年も「ニュース放送」を続けているということが、利美さんからはちょっと「頑固」にも見(jiàn)える王さんには、忘れられないこんな場(chǎng)面があるという――1990年代、村の事務(wù)棟にテレビが設(shè)置され、村民たちが喜んでその周りに集まり、一緒にニュースを見(jiàn)ていた光景だ。細(xì)かいところまで気がつく王さんは、高齢者の中には字が読めない人、標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)がわからない人もいるが、そうした人々はニュースを通じて世界のことを知りたいと強(qiáng)く願(yuàn)っていることに気づいた。
そこで中學(xué)校を卒業(yè)している王さんは、標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)を臨海方言に訳す「通訳」を買って出た?!弗衰濠`スは新しいことに価値がある。溫めておくと腐ってしまう、村民に食後のくつろぎタイムの楽しみを提供したいという気持ちもあった」と王さんは振り返る。
1998年に退職した王さんは村民にニュースを読み聞かせたり、ニュースを解説したりするボランティアを始めることにした。中國(guó)內(nèi)外の大きな事から小さな事まで、方言で生き生きと「放送」し、村民の間で大人気となった。期待の高まりを受けて、「放送」は週1回から週3回になり、今では毎日だ。雨の日も風(fēng)の日もほとんど休むことがない。
王さんは1時(shí)間の「放送」のために、しっかり內(nèi)容を準(zhǔn)備する。毎朝5時(shí)から新聞を読み始め、面白いニュースがあればノートに書き寫し、まとめたノートはもう10數(shù)冊(cè)にもなった。
顔興寶さん(77)は毎日すきを背負(fù)い、わざわざ「放送」が始まる前に隣の村からやって來(lái)る?!皋r(nóng)作業(yè)が終わると、ここに來(lái)て王さんのニュースを聞く。農(nóng)業(yè)支援の補(bǔ)助金優(yōu)遇措置、介護(hù)政策、健康の知識(shí)など、どんな話題もよりはっきり理解できるようになる」と顔さん。
ここ數(shù)年の間に、王さんの評(píng)判が高まり、「ニュース放送」が人々の心に屆くようになった。王さんはしばしば周辺の村に呼ばれて「ニュース放送」を行い、午前中に複數(shù)の村を「巡回して放送」することもあるという。
こうした狀況を受けて、現(xiàn)地の関係當(dāng)局も王さんのために新聞?雑誌を注文して、王さん宅に屆くよう手配し、村民の精神的?文化的生活を豊かにする王さんの活動(dòng)を支援している。王さんは、「ニーズがあれば、どこでも出かけていってニュースを『放送』する。體が動(dòng)かなくなるまで、ずっと『放送』を続ける」と話す。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2023年7月25日