1980年に放送された「シルクロード」は、當(dāng)時(shí)のドキュメンタリー制作のピークとされ、その後中國(guó)のドキュメンタリーの「教科書」にされた。1980年代は、中日関係の蜜月期だった。NHKが出資金?設(shè)備?主要スタッフを提供し、CCTVがその補(bǔ)助役となった。シルクロード沿線の見聞に、鈴木氏は心を揺り動(dòng)かされた。陸地のシルクロードの撮影を完了すると、NHKの取材班は海のシルクロードの旅を始めた。鈴木氏は、「マルコ?ポーロはこの道を25年かけて歩き終えた。私という現(xiàn)代のマルコ?ポーロは、1978年から數(shù)えて9年かけて歩き終えた」と語(yǔ)った。
NHKはシルクロードをテーマとする多くの番組を撮影している。シルクロードは何度も撮影できる、永遠(yuǎn)に衰えることのない題材と言える。NHKは2003年、「新シルクロード」の共同制作をCCTVに提案した。CCTVはこれを快諾した。
鈴木氏は定年退職を控えていたので、この撮影には加わらなかった。しかし新シルクロードは、1980年の取材班の素材をふんだんに盛り込んだ。西安はシルクロードの出発地であり、終著點(diǎn)でもある。NHKは2006年版の「新シルクロード」の最終話「西安 永遠(yuǎn)の都」を、特別に88分の特別版にした。當(dāng)時(shí)まだそれほど有名でなかった俳優(yōu)?堺雅人さんが、遣唐使の井真成を演じ、現(xiàn)代の西安の街頭に現(xiàn)れた。堺さんは、「都は北京に移されたが、知恵の蓄積でこの古都が負(fù)けることは絶対にない」と語(yǔ)った。この深い意味が込められたセリフは、視聴者を感動(dòng)させた。
日本のシルクロードに対する熱意は、我々の想像を絶するものだ。この熱意は、中國(guó)人を上回るほどだ。鈴木氏は、「日本は自分たちがどこから來(lái)たのかを問(wèn)い続ける民族だ。日本文化は中國(guó)から伝わり、仏教もインドから中國(guó)を経由して伝わった。中國(guó)文化は日本にとって母のような存在であり、日本人は母がどのような存在かを常に知ろうとする。中國(guó)人はこの母から遠(yuǎn)く離れていないが、これは日本が大多數(shù)の中國(guó)人より中國(guó)を知ろうとする理由かもしれない」と語(yǔ)った。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年11月25日
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