今年4月20日、襄樊大通り総合整備プロジェクトが開始される。関連計(jì)畫によると、水星臺(tái)が沿線の景勝地に組み込まれ、襄樊大通りでは文化財(cái)?景勝地の表示プレートを設(shè)置して、景勝地の位置を明示する。 襄陽政府網(wǎng)が伝えた。
1984年には水星臺(tái)は市の文化財(cái)保護(hù)機(jī)関に指定され、1992年には第3期の湖北省文化財(cái)保護(hù)機(jī)関に取り入れられている。
昨年6月17日、この文化財(cái)景勝地を取材した。
段を上ると、大門の軒下の石の看板には「水星臺(tái)」という文字が縦書きに記されている。鴨居は美しい蓮の花や生き生きとした竜の裝飾が施され、臺(tái)の両側(cè)には中空に2本の竜の頭が設(shè)置されており、大雨の後には臺(tái)に溜まった水が竜の口から噴き出すようになっている。水星臺(tái)の正面は二つの硬山式の頂?shù)钣瞍?、大広間の梁の上には「光緒二十七年に再修繕、襄陽県知県李祖蔭」と書かれている。臺(tái)の東側(cè)には展望窓があり、壁には戦爭(zhēng)期の弾痕がまだ殘されている。
かつて水星臺(tái)の主な役割は樊城の火事を見張ることだった。昔の樊城では店舗や住宅の多くはレンガと木造が多く、火災(zāi)が頻発しており、特に水星臺(tái)近くの町では火事が多かったため、「火巷」と呼ばれていた。市民は水星臺(tái)の発する火災(zāi)の警報(bào)を耳にすると、総出で現(xiàn)場(chǎng)に駆けつけて消火につとめたという。
現(xiàn)在の水星臺(tái)は既に消防の機(jī)能は持たないが、襄陽の消防の変遷を見守ってきた歴史的な景勝地となっている。
1993年から1994年にかけて現(xiàn)地政府部門は20萬元(約388萬円)以上の資金を投じて、抗日戦爭(zhēng)(日中戦爭(zhēng))時(shí)に日本軍の戦闘機(jī)に爆撃された部分を修復(fù)し、牌樓と前殿を改修した。改修後の水星臺(tái)は昔の姿を取り戻し、また同年12月が「愛國主義教育基地」に指定されている。
現(xiàn)在の水星臺(tái)はすでに解放路に立ち並ぶビルの間に隠されてしまっている。市民から関係部門に対して、より多くの市民や観光客が水星臺(tái)を観光し、町の消防史上で果たした歴史的意義と価値を知るようにと、樊城のある橋に位置するバス停の名前を「水星臺(tái)」に変えるよう提案が寄せられている。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年3月10日
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