福建省博物院が考古學(xué)報(bào)告會(huì)で明らかにしたところによると、同院の考古研究所は昨年5月、福州市の海域にある東洛島付近で沈沒船遺跡を発見し、船の中から福州市と日本を結(jié)ぶ海上シルクロードが存在したことを証明する文化財(cái)が見つかった。新華網(wǎng)が報(bào)じた。
沈沒船が見つかったのは東洛島の西側(cè)。海底は比較的平坦で、東西約50メートル、南北約80メートルの範(fàn)囲で遺物が発見された。引き上げられた碇を調(diào)べたところ、沈沒船から発見された文化財(cái)の年代は、宋(960-1279年)の時(shí)代から、元(1271-1368年)、明(1368 - 1644年)、清(1644-1912年)の時(shí)代のものまであることが分かり、科學(xué)的研究価値に富んでいる。
地図を見ると、沈沒船が見つかった場(chǎng)所は、風(fēng)があまり當(dāng)たらない海域。同研究所の羊沢林?副所長は、「昔、多くの船舶がここに停泊していたと思われる。船はおそらく臺(tái)風(fēng)に襲われ沈沒し、さまざまな時(shí)代の文化財(cái)を積んだ沈沒船の複雑な構(gòu)造の遺跡を形成したのだろう」と推測(cè)している。
沈沒船からは黒釉碗、青瓷碗などの陶器が大量に発見された。うち、黒釉瓷は、元末期から明初期の時(shí)期のものと斷定された。福建省南平市はかつて、黒釉瓷の生産地で、日本でも黒釉瓷が數(shù)多く出土している。
羊副所長は、「史學(xué)界では、古代、福建省の陶磁器は浙江省寧波港から日本に輸出されていたと考えられている。しかし、福州港を出て、臺(tái)灣北部を通過し、沖縄に運(yùn)ばれていた可能性もある。今回発見された沈沒船遺跡は、福州市と日本を結(jié)ぶ海上シルクロードが存在していたことを証明する」と説明している。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年3月16日
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