戦爭の呼び名は、その歴史への視點(diǎn)を內(nèi)包している。私としては「アジア?太平洋戦爭」という言葉は物足りず、中間の「?」を取って「アジア太平洋戦爭」と呼稱すべきだと主張している?!溉罩袘闋帯工取笇澯⒚讘闋帯工袭悿胜毪趣いW(xué)者も多いが、私は同一の戦爭だと認(rèn)識している?!?」を取れば、世界反ファシズム戦爭における中國の重要な役割をより端的に示すことができる。この観點(diǎn)はまだ主流となってはいないが、今後少しずつ受け入れられていくと信じている。
私が日本の侵略戦爭を研究しているのは、私自身の家庭の事情も影響している。私の父は3人の兄を戦爭で亡くし、そのうち1人は中國で亡くなった。私は幼い頃から、日本の引き起こした戦爭はなんと殘酷で、隣國になんと大きな傷跡を殘し、日本でもなんと多くの家庭を引き裂いたことかと思ってきた。私は戦爭という問題にとりつかれ、「日本はなぜ侵略戦爭を起こし、大きな罪を負(fù)うことになったか」という謎を解きたいと考えるようになった。日本政府は、侵略戦爭によって戦死した軍人を「英霊」と美化している。もしも日本が再び戦爭を起こせば、死ねば「英霊」と尊敬されると考えて戦爭や戦死を厭わない人が出てくるかもしれない。これは非常に恐ろしい事態(tài)だと考えている。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年5月6日
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386