毎年8月15日は、國際社會(huì)とりわけ東アジア地域にとって非常に敏感な日となる。この日には、それぞれの國がそれぞれの感情を覚え、それぞれ異なる歴史の記憶を呼び起こす。日本は、毎年8月15日にどのような感情を抱くのだろうか。どのような歴史の記憶を呼び起こすのだろうか。またはわざとこれを忘れ、あえてこれを回避しようとするのか。もしくは平靜を裝い、A級(jí)戦犯の祀られたあの神社に行き、見世物をしようというのだろうか。(文:厖中鵬?中國社會(huì)科學(xué)院日本研究所副研究員)
72年が過ぎた今年も、8月15日がやってきた。歴史はこれまでと同じように悠然とした歩みを続けている。だが魂の奧深くにあるあの記憶の數(shù)々は忘れられるべきではない。8月15日を振り返り、歴史の中で起こった出來事を思い起こしながら、日本はいかに前進(jìn)していくべきなのだろうか。
安倍首相が再び政権に就いて5年近くが経った。在任期間ではかれば、安倍首相は自らを誇りに思って當(dāng)然だろう。安倍首相は、首相が頻繁に交替していたそれまでの流れを止めた。だが第2次安倍內(nèi)閣以來の歴史観と、日本の政界を「右旋回」させたその具體的な表れから見れば、安倍內(nèi)閣の5年は、日本が國際社會(huì)を極めて不安にさせた5年であり、日本が國際社會(huì)を極めて警戒させた5年であり、日本が國際社會(huì)を極めて困惑させ、理解の困難を感じさせた5年だったとも言える。
今年もまた8月15日がやって來た。見たくないのは、日本の政界のさまざまな政治家が靖國神社に參拝に行く光景である。毎年8月15日になると、A級(jí)戦犯を祀った靖國神社には決まって、多くの日本の政治家が參拝に出かける。これらの政治家は參拝しながら、その參拜の本當(dāng)の目的はいったい何なのか考えたことがあるのだろうか。本當(dāng)に亡き霊を供養(yǎng)するのが目的なのか。「歴史」を追憶することが目的なのか。それともただいつか入閣する時(shí)のために世論の凖備をしているつもりなのだろうか。目的が何であるにせよ、覚えておかなければならないことが一つある。靖國神社は、日本の対外侵略戦爭(zhēng)に自ら參加し、被害國の人々の血で両手の汚れたA級(jí)戦犯を祀っているということだ。日本の今日のエリートたちが何の気兼ねもなくこの神社に公に參拜できるということは、日本本國にとっては大した影響もないことかもしれない。だが國際社會(huì)の無數(shù)の目に直面し、被害を受けた國の無數(shù)の人々の悲しき亡霊の視線を受ける時(shí)、日本はどんな思いでこれに耐えられるのだろうか。
今年もまた8月15日がやって來た。第2次世界大戦の侵略の歴史を否定する逆流が日本の政界から次々と現(xiàn)れる光景も、見たくない光景だ。日本の政界では普通、日本の第2次大戦の侵略の歴史にかかわる事については何であっても、政治家はこれを回避するか、はなからまったく否定するという立場(chǎng)を取る。大勢(shì)の日本の右翼勢(shì)力にとっては、侵略戦爭(zhēng)もなく、虐殺の悪行もなく、慰安婦の強(qiáng)制連行もなく、細(xì)菌兵器もなかったということになってしまう。戦爭(zhēng)そのものに関しても、右翼の人の記憶の中では、戦爭(zhēng)は、日本のいわゆる「自存と発展、自衛(wèi)のための戦爭(zhēng)」だったということになる。日本の若者の心の中から戦爭(zhēng)の記憶を永遠(yuǎn)に消してしまうため、右翼勢(shì)力は費(fèi)用も精力も惜しまず、小中高校の歴史の教科書に手を加え、侵略戦爭(zhēng)の歴史を日本の歴史から完全に消そうと試みている。
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