戦時中、日本軍によって性奴隷にされた女性の「いま」を描いたドキュメンタリー映畫『二十二』が、中國で若者を含めた幅広い世代の関心を集めている。そのカメラが捉えたのは、元日本軍性暴力被害者(従軍「慰安婦」)というより、90歳前後を迎えたどこにでもいる深い皺に刻まれた「おばあさんたち」である。説明やナレーションもごくわずかで、淡々とおばあさんたちの「現(xiàn)在」と「日?!工坤堡诚窕丹欷皮い搿?/p>
日本ではまだこの映畫について「ニュース化」されていない。グローバル化した情報環(huán)境を考えれば、公開まもないという時間の短さは障害にはならない。むしろ性奴隷問題への関心のあり方が反映していると見るべきだろう。日本社會では、戦爭の問題一般にいえることだが、戦時性奴隷に対する責任問題をどう考えるかにかかわらず、それを「過去」の問題、つまり「七十數(shù)年前の問題」として捉える傾向が強い。彼女たちを「売春婦」とみなして日本軍や政府の責任を否定するにせよ、その被害と責任を認めて尊厳の回復と賠償を行うべきだと考えるにせよ、未だに解決を見ない「過去」に関する問題だとみなしている點は共通している?!肝堪矉D」たちの置かれた歴史的経過や彼女たちの存在にほとんど関心も理解も持っていない多くの市民も同様である。性奴隷にされた女性が戦後をどのように生き、晩年の今をどう暮らしているかにまで想像力が及ぶのは、『二十二』に登場した若い日本人女性のように、直接的な支援活動をするごくわずかな人々などに限られよう。おばあさんたちとその家族が今どんな思いでどのように生きているのかを知れば、日本社會で歴史問題を論じる際に常套句のように出てくる「いつまで過去を問題にするのか」といった「被害者」的ポジションへの居直りは成り立たなくなる。だから、『二十二』が映し撮った「おばあさん」の「日?!工稀⒏姘k性が直接的なものではないこともあり、「二國間條約で解決済み」だとして見ないで済ませたい現(xiàn)実なのではないだろうか。
筆者が中國滯在中に足を運んだ映畫館でもそうだったが、観客には若者が多いという。中國の若者にとっても、「慰安婦」たちの「日?!工取脯F(xiàn)在」はショッキングなものだったようだ?!笐闋幱钞嫛工违ぅ岍`ジにつきまとう嘆き悲しむ被害者、日本軍を糾弾する大きな聲、あるいは感情を失った諦念といった「極端さ」とは無縁の畫面が続き、おばあさんたちは家族とご飯を食べ、テレビを観て、時には笑う。もちろん、顔に刻まれた皺の深さと同じくらい深遠で読み取りがたい表情を浮かべることもある。その淡々とした時間の流れに、かえって殘酷さと深刻さを感じ取ったのかもしれない。
おばあさんたちがあまりに語らず、抑制的で、清濁を合わせたありのままの現(xiàn)実をそのまま生き抜こうとしているかの姿は、観る者にお前は何を感じたかという「現(xiàn)在的」で「國境を越えた」問いを投げかけていると感じたが、ここではそれに深入りしない。むしろ、日本でも中國でも人々の関心の外に置かれてきたおばあさんたちの「現(xiàn)在」の「日常」に向き合うことは、歴史問題ですれ違い、混迷を深める東アジアの新しい出発點になる可能性を有していると感じた。ただ、そうした示唆を與えてくれる『二十二』と、日本の同種の文蕓作品を比べてみると、不安を感じずにはいられない。
戦爭経験を現(xiàn)在との繋がりで捉えられず、過去の問題とみなす日本社會の傾向は、映畫や文學などの文蕓作品でも例外ではない。90年代以降「慰安婦」問題は日本社會で大きな論爭的課題となったにもかかわらず、「現(xiàn)在」の課題として主題化した映畫や文學作品はきわめて少なく、あるとしても韓國で製作された映畫の上映や深夜時間帯に放映されるテレビ?ドキュメンタリーくらいである。
日本でも戦爭に関する映畫や文學そのものは決して少ないわけではない。戦爭を取り上げた文蕓作品には、第一に、原爆や都市空襲の被害や悲慘、疎開先での苦難、中國大陸など侵略先からの引き揚げや抑留などに伴う悲劇を中心に取り上げたものが多い。日本人も「被害」を受け苦労を重ねたことは事実だが、その「被害」に先立って日本自ら夥しい「加害」をもたらしていた側面は描かれない。
第二に、國のために命を賭けて死んでいった人々や、戦後復興の中で勤勉に努力した姿を日本人の「美徳」として描く文蕓作品が近年特に増えている。特攻隊員や零戦、巨大艦船の開発および「活躍」は繰り返し取り上げられるテーマである。これらは、物資や環(huán)境が十分ではない戦時中や復興過程における日本人の勤勉さや忍耐強さを強調し、美化することで、現(xiàn)在にも繋がる日本人の自己イメージを肯定する機能をもっている。困難の中で輝く勇敢さや逞しさ、豊かな知恵などは賞賛に値するものであったとしても、その一面ばかりを描いた作品が多産されると、天皇を含めた戦爭指導者の過ちや、民衆(zhòng)の積極的戦爭協(xié)力といった負の側面が存在しなかったことにされかねない。
つまり、日本の戦爭文蕓の多くは、日本の被害あるいは奮闘に焦點が當てられ、加害國であったことを意識させない文化の一端を擔っている。日本が行った戦爭の全體性を視野に収めた作品はまだごくわずかしかなく、大衆(zhòng)的な作品ではなおさらそうである。自國の「被害」がどのように生み出されたのかさえ焦點化しないのであるから、他國の被害がどのようにもたらされ、戦中戦後の被害狀況や被害者の感情が文蕓作品の対象にならないのも不思議はない。
これは、文蕓作品にのみ見られる現(xiàn)象ではない。1950年代に新中國の撫順と太原の戦犯管理所に収容された日本人戦犯らは、戦時中の行為の意味を振り返る特徴的な教育改造を経て、自己の加害責任を積極的に認めるようになったことで知られる。筆者は彼らへのインタビュー調査を重ねてきたが、抗日分子の虐殺や拷問などを率直に語りながら反省を表明する彼らでも、自ら性奴隷を犯したり部落掃蕩などの際に強姦?輪姦を繰り返したことまで語る人はほとんどいなかった。生體解剖の罪を証言し続けた元軍醫(yī)でも、90年代になって女性活動家に指摘されるまで、「慰安婦」は売春婦だったという認識を共有していたと語った。一定の反省に至ったといえども、現(xiàn)在の姿にまで想像力を及ぼし、自らとの関係性を考えることは容易ではないことを物語る。
『二十二』がそうであったように、文蕓作品はわれわれの想像力を解放したり、良い意味で裏切ったりすることで、硬直した現(xiàn)実や認識を新たなものにさせてくれる?!袱肖ⅳ丹?span style="text-indent: 1em;">たち」を主題にした映畫や文學が日本で作られ、被害だけでなく加害も受け止められるとき、日本社會と「おばあさんたち」との関係は初めて新しい地平へと辿りつくのではないだろうか。(文:石田隆至?明治學院大學國際平和研究所研究員)
「人民網日本語版」2017年9月27日
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