日本において著名な中國文學(xué)者であり、中央大學(xué)文學(xué)部の教授でもある飯塚容氏は、大學(xué)在學(xué)時(shí)代から中國文學(xué)の翻訳を始め、これまでに余華氏、鉄凝氏、蘇童氏といった中國の作家40人以上の80作品以上を翻訳し、日本における中國文化のPRという面で多大な貢獻(xiàn)をしてきた。このほど飯塚氏は人民網(wǎng)の取材に応じ、その翻訳作品や1978年から始まり、今年ちょうど40周年を迎えた中國の改革開放に対する見方、日本における中國文學(xué)の現(xiàn)狀などについて語った。人民網(wǎng)が伝えた。
改革開放から40年 時(shí)代と共に発展し続ける中國文學(xué)
飯塚氏は1983年に魯迅研究者代表団の一員として中國を初めて訪問し、上海、南京、紹興の3都市を巡った。その後、1984年に、個(gè)人旅行で中國を訪問したが、當(dāng)時(shí)の中國は交通の便が非常に悪く、現(xiàn)在と比べると雲(yún)泥の差だったと振り返る。
飯塚氏が最も印象深く感じていることの一つに、中國が改革開放を進(jìn)めていくようになってからというもの、中日間の通信や連絡(luò)がどんどん便利になっていった點(diǎn)を挙げている。文學(xué)の翻訳作業(yè)を進(jìn)める上で中國の作家と連絡(luò)を取る必要が生じた場合、當(dāng)初は手紙のやり取りでしか連絡(luò)を取ることができなかったという。しかし1991年になって余華氏と初めて連絡(luò)を取った時(shí)は、初めてエアメールを使えることができたことを今もはっきりと覚えているという。その後、それは瞬く間に電子メールがとって代わり、現(xiàn)在ではほとんどの連絡(luò)を微信(Wechat)で取るようになっているため、翻訳作業(yè)を進(jìn)める上で何か問題が生じてもすぐに解決することができ、作業(yè)効率が大幅に向上したという。
飯塚氏は、中國が改革開放を進(jìn)めたこの40年間において、中國文學(xué)にも大きな変化が生じたと感じている。なかでも最も顕著な変化として、飯塚氏は「個(gè)人化傾向」と「市場化傾向」を挙げる。中國の昔の作家の作品は、國家や歴史、民族など、大きな命題のグランド? ナレーティブばかりだった。一方、今の若手作家は、個(gè)人の日常生活、時(shí)には非常に身近な小さな出來事に注目するようになっている。ただ、健全な市場環(huán)境は文學(xué)の発展を推進(jìn)しているものの、一部の作家や出版業(yè)者は、商業(yè)利益をあまりにも重視しているため、文學(xué)としての従來あるべき姿を失い、非常に殘念に感じさせる狀況が見られるとしている。
改革開放から40年 日本人の中國に対する認(rèn)識(shí)にも変化
飯塚氏によると、日本ではこれまでに2度、中國現(xiàn)代文學(xué)ブームが起きている。1度目は敗戦後間もない1950年代で、2度目は改革開放後間もない80年代だった。當(dāng)時(shí)、ほとんどの日本人が現(xiàn)代中國文化の動(dòng)向に関心を示し、中國文學(xué)が活発に日本語に翻訳されて出版されていた?!钢袊膶W(xué)は當(dāng)時(shí)、日本における『黃金時(shí)代』を迎えていた」と飯塚氏。しかし、現(xiàn)在の日本人は、以前ほど中國文學(xué)に対して興味を示さなくなっている。その理由について、飯塚氏は、「たくさんの理由があるが、大きな理由の一つは、日本の出版界が全體的に不景気で、そのような狀況下では、文學(xué)、特に外國文學(xué)の翻訳や出版が以前より難しくなった點(diǎn)」と分析する。
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