桃の花が赤く咲き、柳の葉が緑に茂る羌(チャン)族の町(提供?ブン川県委員會宣伝部)。
地震から10日後、1500萬人以上に臨時の避難場所を手配し、100日後には1200萬人以上に仮設(shè)住宅を手配した。1年で、地震で損壊した住宅約350萬世帯が修理と補強を全面的に完了。1年半後、農(nóng)家150萬世帯の住宅再建が全て完了。2年後には、都市部住民25萬世帯の住宅がほぼ完成し、「どの世帯も住む家がある」という目標(biāo)を予定より1年前倒しで達(dá)成した。
「最も堅固なのは學(xué)校、最も美しいのは民家、最も現(xiàn)代的なのは病院、最も利益を受けるのは一般の人々」というのが、震災(zāi)後の再建に対する被災(zāi)者の共通した評価だ。
地震の被災(zāi)地を歩くと、ブン川に東莞大道、北川に山東大道、什邡に北京大道があることに気付く。これらの特別な地名は、當(dāng)時全國18の?。ㄖ陛犑?、自治區(qū))がこれらの場所を「対口支援」で建設(shè)した事実をはっきりと記録している。1ヶ月で、全國の3分の2に近い省?直轄市?自治區(qū)が行動を起こし、被害が甚大だった県や市に対する「対口支援」を行った。
「一つの省で一つの被災(zāi)県を支援し、全國の力を挙げて復(fù)興再建を加速する」という理に適った施策は、震災(zāi)後の再建における最大の革新だった。
壽光の野菜が北川で若芽を出し、江蘇のイチゴが綿竹で実り、ブン川の教師が広州で學(xué)び、都江堰の保育士が上海で仕事を得た。溫州の精神、遼寧の経験、東部の先進(jìn)的な発展理念と管理モデルは、再建の過程で根を張り、花を咲かせている。その後、「対口支援」は自然と「対口協(xié)力」へと進(jìn)化していった。
映秀鎮(zhèn)の東莞大道で行われた路上の大宴會「◆◆宴(◆は土へんに覇)」(提供?ブン川県委員會宣伝部)。
アジア開発銀行の代表らは、「発達(dá)した地域が被災(zāi)地を支援するよう中央が統(tǒng)一手配するという方法は、世界でもまれなものだ。政府の強大な動員力は、災(zāi)害救援のスピードと効率を保証した」と感嘆の聲を上げた。
「対口支援」だけではない。地震後3年で、中央財政が復(fù)興再建に投じた額は2200億元(1元は約15.01円)に上る。稅制面での優(yōu)遇、金融支援、用地保障、法制保障など、一連の「トップレベルデザイン」的施策は、復(fù)興再建に最も力強い制度面でのサポートを提供した。
「ブン川の奇跡」の根源には、中國共産黨の力強い指導(dǎo)がある。3年で再建を?qū)g現(xiàn)したことは、執(zhí)政黨の國民に対する忠誠、民族の未來に対する夢を十分に體現(xiàn)しており、社會主義中國の制度が備えている活力を検証し、「中國の道」を歩む上での確固とした自信を強めた。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年9月27日