2008年5月12日に発生した四川大地震で生き埋めになり、救出された際、兵士に向かって挙手の敬禮をした男の子?郎錚君を覚えているだろうか?當(dāng)時3歳だった郎錚君は、四川大地震で被災(zāi)した北川県の瓦礫の下から、20時間以上ぶりに救出された。左腕にけがを負(fù)っていた郎錚君は、擔(dān)架代わりの木の板にのせられて運(yùn)ばれた際、右手で解放軍の兵士に敬禮した。その様子を捉えた寫真や映像は、瞬く間に中國全土で話題となり、郎錚君は「敬禮坊や」と呼ばれるようになった。
あれから15年の歳月が過ぎ、郎錚君は、身長185センチの好青年に成長した。今年の中國大學(xué)統(tǒng)一入學(xué)試験(通稱「高考」)では、637點(diǎn)という優(yōu)秀な成績を収め、四川省でトップ30に入った。父親の郎洪東さんは今月25日の取材に対して、「息子は、北京大學(xué)や清華大學(xué)、中國人民大學(xué)などからオファーをもらっており、現(xiàn)在ほぼ北京大學(xué)に行くことを決めた」とした。
郎洪東さんは、「郎錚はずっと必死に勉強(qiáng)していた。高校の時は特に大変で、郎錚は夜10時半までの夜の自習(xí)時間が終わっても勉強(qiáng)をしていて、寢るのは毎晩11時を過ぎてからだった。朝は6時に起きると朝の自習(xí)というように、睡眠時間は毎日6、7時間ほどだった」とし、「僕自身は警察官で妻は公務(wù)員なので、二人とも毎日仕事が忙しい。今回、優(yōu)秀な成績を収めることができたのは、息子が自分で必死に努力した結(jié)果にほかならない。僕も妻も、息子の子育てで苦労したことはほとんどなかった」と話す。
郎錚君は、「北川県は地震で瓦礫の山と化したが、皆の愛が『希望の花』を咲かせてくれた。無數(shù)の人々の無私のサポートの下、北川県は復(fù)興を遂げることができた。どこの大學(xué)に行くことになっても、どの都市に住むことになっても、感謝の気持ちを忘れず、勉強(qiáng)に勵み、國や社會の役に立つ人となり、恩返しをしたい」とした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年6月26日