「九一八事変」(満州事変)の勃発から83年が経った。一部の學者はこの歴史を、20世紀の重大な國際的事件とし、國際関係の局面を大きく変え、人類史上空前の災難につながったできごとだと指摘している。新華網が伝えた。
9月18日に燃え上がった戦火は、その後14年間にわたって中國東北部から太平洋に広がり、歐州の戦場とも呼応した。戦禍は60余りの國?地域に広がり、世界の4分の3が戦爭に巻き込まれることとなった。
瀋陽の「九一八」歴史博物館の井暁光館長は「九一八事変は第2次世界大戦の序幕となった。東北人民の抗日救國運動に火をつけ、14年にわたる抗日戦爭の起點となり、世界の反ファシスト戦爭をスタートさせた」と語る。
當時の國民政府が不抵抗政策を取ったこともあり、瀋陽は一日もしないうちに陥落した。その後、中國東北部は半年足らずで占領された。現(xiàn)在の中國國歌『義勇軍進行曲』は當時の抗日勢力から生まれたものであり、東北の抗日義勇軍の兵士が作ったとされる。
中國近現(xiàn)代史料學學會副會長と遼寧九一八戦爭研究會會長を兼任する王建學氏によると、日本は東北部を占領後、戦爭によって戦爭を養(yǎng)う政策を取った。東北は巨大な後方基地となり、侵略戦爭を支えるための資源のひどい略奪が行われた。
ある資料によると、1937年に東北で生産された鋼材は日本の全生産量の3分の1を占め、日本の28種の軍需物資のうち14種は東北によって供給されていた。
當時の日本の政府と軍部はいずれも、中國東北部の占領は時間の問題で、いつチャンスが訪れるかという問題だと認識していた。
抗日戦爭勃発後、國內のある新聞は次のように評している?!笟s史的に見れば、日本軍閥のアジア大陸に対する野心は一朝一夕のものではない。東北を併合し、華北を占領し、中國を飲み込むことは、敵國の數(shù)十年にわたる國策である」
王建學氏によると、日本軍による「九一八事変」の発動は中國侵略であると同時に、それまでの國際関係を打破し、多國の権益を損なうものだった。だが當時は宥和政策が優(yōu)勢で、ファシスト國家の侵略拡大の野心を止めることができなかった。太平洋戦爭を発動するまでに、日本はすでに「放たれた矢」と化していた。
「『九一八』を今から振り返ると、當時の日本の侵略を甘く見ていた西側國家は、その結果を自分で被ることとなった」と、遼寧社會科學院歴史研究所東北陥落史研究室の張潔室長は指摘する。「全世界はそこから教訓を汲み取らなければならない」
日本軍は1941年に米國の真珠灣を奇襲し、英國の植民地であった香港に侵入した。東南アジアの戦場では、日本軍は數(shù)千人の同盟軍兵士を捕虜とし、「九一八事変」の勃発地である瀋陽で強制労働にあたらせた。
どんなに巨大な変化も人間の正道を覆すことはできない。正義を欠いた日本の行動は、世界の反ファシスト同盟の下に倒れることとなった。
第2次世界大戦の終結から70年近くが経った。學者の一部は、右傾化を強める日本の動きに世界は警戒すべきだと呼びかけている?!妇乓话耸聣洹工螄H的な性質を理性的に認識し根底から明らかにすることは、歴史のつながりの中に日本の現(xiàn)在の政策を置くことを可能とし、世界平和の維持にとって大きな現(xiàn)実的な意義を持つ。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年9月18日
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