高倉(cāng)健が時(shí)代を象徴する人物だとすれば、村上春樹は今も時(shí)代の先端に立ち、影響力を発揮し続けている。この20年あまり、中國(guó)は急激な都市化を迎え、経済が急速に発展した。人々はもはや「社會(huì)の物事」に関心を持たなくなり、個(gè)人の生活や精神世界を豊かにすることに注目するようになった。村上春樹より前、中國(guó)大陸部では瓊瑤や金庸などの小説が流行したことがあるが、これらの小説は農(nóng)業(yè)文明を描いたベストセラーであり、徐々に時(shí)代のニーズに追いつかなくなった。村上春樹は、大都市に住む個(gè)人がいかに生活を味わうかを描いており、都市化の中の社會(huì)ニーズに合致している。このため、都市で働くホワイトカラーや小金持ちがハルキストとなっていった。
過(guò)去、長(zhǎng)期的に存在した集団主義の思想に比べると、個(gè)人生活への回帰は良いことだ。學(xué)者?姜建強(qiáng)氏が言うように、村上春樹の小説に出てくる「私」はいつも強(qiáng)い獨(dú)白性?個(gè)人性を持っている。このような、內(nèi)面を見つめる生き方は、外の社會(huì)的価値に重きを置く生き方よりも優(yōu)れており、伝統(tǒng)的な価値観への反逆、再生とも言える。しかし、個(gè)人の小さな世界に浸り、その小さな世界を物質(zhì)で飾り立て、己の楽しみや悲しみだけで満足していると、広い世界に関心を持たなくなり、現(xiàn)実問(wèn)題から目を背け、果てはシニシズムに陥ってしまう。村上春樹の小説が持つ內(nèi)在的な危機(jī)やマイナス影響はここにある。
村上春樹は自身が影響を受けた作家として、フランツ?カフカ、スコット?フィッツジェラルド、レイモンド?カーヴァーを挙げている。村上春樹は大衆(zhòng)文化の外側(cè)に、純文學(xué)の內(nèi)容を飾りつけようと試みた。しかし、現(xiàn)代人の異化の描寫において、村上春樹はカフカには敵わない。夢(mèng)の幻滅の描寫において、フィッツジェラルドには敵わない。一般人のジレンマの描寫において、カーヴァーには敵わない。それでも村上春樹が純文學(xué)の方向に向けて努力しているというのなら、その影響を受けた中國(guó)の若手作家は、彼に遠(yuǎn)く及ばない。衛(wèi)慧、アニー?ベイビー、郭敬明などの小説は、村上春樹の流行の要素を借りたものだが、純文學(xué)の精神からはさらに遠(yuǎn)ざかっている。(編集SN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年12月4日
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