1987年4月22日、70歳近い砂田氏は杜臺村を訪れた。翌年の3月28日には、杜臺村で抑留されていた日本老兵の代表11名が、當(dāng)時滯在していた200余りの杜臺村の家庭を尋ね回り、長年の感謝の気持ちを伝えた。この時、郭さん夫婦はもう既に他界していたが、砂田氏は妻を引き連れ、彼らの寢床の前で跪いて土下座し、熱い涙を目に溢れながら、中國語で「おじさん!おばさん!命を救ってくださった恩義に感謝します!」と泣き叫んだ。
1987年から1992年の間、砂田氏は日本旅行協(xié)會の責(zé)任者として、當(dāng)時抑留されていた日本老兵団を幾度も組織し、湖北に“感謝”に戻った。そして同時に、多くの贈り物とサクラの樹を贈り、中日両國の民間友好を記念した文章を綴った。
1988年春節(jié)、仙桃籍の留日博士賀平によって、日本の記事にこの報道が全文掲載されたことが村民たちに伝えられた。
現(xiàn)在、杜臺小學(xué)校の校門前と龍洟山街道の役所事務(wù)所敷地內(nèi)に植えられているサクラは青々と茂っており、毎年の春になると美しいサクラの満開を見せてくれる。(編集TM)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年4月1日
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