津田氏は1990年代に友人に宛てた手紙の中で、自分の戦爭責(zé)任について考えを綴っている?!笐閳訾诵肖盲郡长趣胜?、中國人を虐殺したことがない個人として、當(dāng)然法律上の責(zé)任はないが、幼くはあっても、日本人の一員として、戦後に民主主義運(yùn)動に參加してもなお無自覚だった1人の知識人として、道義上、責(zé)任を転嫁することはできない。この點(diǎn)は、戦後生まれの若者とは異なる」。
津田氏は、本を執(zhí)筆して歴史の真相を伝えるだけでなく、かつて実際に中國を訪れ謝罪をしたこともある。1998年4月、津田氏は東史郎氏の訪中団の一員として南京を訪問した。この時の事情を知る人によると、津田氏は南京城內(nèi)のさまざまな虐殺記念遺跡を見學(xué)し、遺跡の前で大きな聲を上げて泣き、跪いたまま長く立ち上がらなかったという。南京大學(xué)で行った津田氏の講演會では、原稿が涙で滲んだ。その日津田氏は、マイクの前で、「ごく普通の日本の知識人として中國の人々に謝罪します」と一言しか語らなかった。
「南京大虐殺と日本人の精神構(gòu)造」のあとがきに、津田氏は次のように書いている?!杆饯悉嗓螭室馕钉摔い皮馊毡兢螄窑虼恧筏皮い胜い⑷毡兢沃R人として、あるいは1人の日本人として、この本を通して中國の人々に謝罪をしたい。私がこのように述べるのは、民族虛無主義の立場からではなく、もちろん卑屈だからでもない。実際の行動を持って謝罪することで、日本民族、つまり國民の民族としての栄譽(yù)を取り戻すためだ」。
(編集MZ)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年4月17日
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