1991年12月13日付の「羊城晩報」に掲載された「殘り飯を食べた『領(lǐng)事パパ』から考える」
「私はこの人が戦後に出會った最初の日本人だった。會った時、彼の表情はとても険しく、日本人への憎しみがにじみ出ていた」。瀬野氏はこの元兵士と出會った時のことをこう振り返る。だが瀬野氏はこれで元兵士との交流を諦めようとはしなかった。心にわだかまりがある時こそ交流が必要だと考えたからだ。瀬野氏はその後、元兵士の家を何度も訪ね、ともに飯を食い、お酒を飲んだ。元兵士も招かれて瀬野家の客となった。
「このような行き來の中で、この元兵士は日本人への敵視をやめていった。日本人も皆と同じ人間であり、中國人と日本人も仲良く付き合うことができると考えてくれるようになった」
この元兵士との交流を瀬野氏はよく憶えている。元兵士が世を去った後、瀬野氏は葬式にも參加し、別れを告げた。今になっても、瀬野氏は、この元兵士の孫と連絡(luò)を保っている。元兵士の一家との友情はもう20年余りも続いている?!袱长欷猡蓼看─斡押盲趣いΔ长趣我护膜馈?/p>
もう一つのエピソードは、在広州日本総領(lǐng)事館で領(lǐng)事を務(wù)めていた時のことで、この時ははからずも有名人となってしまった。當(dāng)時、広州には日本人學(xué)校がなく、瀬野氏の子どもは現(xiàn)地の中國人の子どもと同じ學(xué)校に通っていた。中國人の子どもは、學(xué)校の晝飯がおいしくないと感じると、一口食べてもう食べないという子どもがよくいる。瀬野氏の子どもも殘すことがあって、そんな時には弁當(dāng)箱に入れて持って帰った。ある日、學(xué)校に子どもを迎えに行った瀬野氏は、弁當(dāng)箱に殘した晝食があるのを見て、その場でぱっと平らげた。
周囲の中國人は瀬野氏のこの行動に気付き、たいそうこれを褒めた。日本人は生活が豊かなのに、倹約という美徳を保っているというのである。このことが伝わるとまもなく、現(xiàn)地の新聞社が「殘り飯を食べた『領(lǐng)事パパ』から考える」という記事を載せ、人々に食べ物を節(jié)約するよう呼びかけた。その後、広州の町中では、「節(jié)約は美徳である」「殘飯は持ち帰ろう」などのスローガンが出されるようになり、食事を節(jié)約する運(yùn)動が沸き起こり、中國のほかの地域にまで広がった。瀬野氏は、「レストランで食事をする時に殘飯を持ち帰るのはこうして習(xí)慣になった。この習(xí)慣を先導(dǎo)したのは私だとも言える」と語る。
瀬野氏は、外交の仕事に攜わるにあたって、誠意と誠実という理念を掲げてきた。この理念は、自分の大學(xué)時代の恩師から受け継いだものだという。瀬野氏にとってこの教師は、人生を?qū)Гい咳宋铯趣猡胜盲?。中國に仕事に來る前、瀬野氏はこの教師と語り合った。教師は瀬野氏に、ノーマン?ベチューンのような人間になれと言った。自己の利益を顧みず、誠心誠意で他人に盡くしたベチューンは、中國とカナダの関係にも積極的な影響をもたらした。國家と國家の関係は、人間と人間とによって作られるものである。だからこそ誠意が極めて重要なのであり、交流においては觸れ合ったすべての人を重視しなければならない。瀬野氏は、「恩師のこの言葉が私の仕事の理念と人生の目標(biāo)となった。複雑な問題に出會った時にも、辛抱強(qiáng)くわかりやすい形で意思疎通を図り、相互の誤解や疑惑を払拭することが必要だ」と語る。
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