今年は孫文(1866-1925年)生誕150周年にあたり、それを記念するイベントが続く。孫文の銅像は中國大陸と臺灣地區(qū)、香港、マカオや海外でも多く建てられており、特に香港ではほとんどの大學(xué)のキャンパスに銅像がある。そんな孫文の銅像を語る上で忘れてはならないのが、孫文の日本人の友人である梅屋莊吉(1868-1934年)が鋳造した四體の銅像だ。それぞれ広州市の中山大學(xué)キャンパスと黃埔軍官學(xué)校跡、南京市の中山陵、マカオの國父記念館にある。大公網(wǎng)が伝えた。
中山大學(xué)は孫文が1924年に國立広東大學(xué)として設(shè)立した。梅屋莊吉が銅像のうちの一體をこのキャンパス內(nèi)に建てたのは當(dāng)然のことだろう。孫文の銅像は中山大學(xué)のキャンパス中央に位置し、大學(xué)のシンボルとなっている。この銅像は中年期の孫文の姿をかたどり、長めのコートにスーツを著て、左手を腰に、右手を伸ばして、民衆(zhòng)に向かって演説を行うおなじみのポーズとなっている。銅像は1933年冬に中山大學(xué)石碑跡に設(shè)置され、その後、1954年春に広州市人民政府が中山記念堂に一時的に移動したのち、1956年11月12日(孫文生誕日)に再び中山大學(xué)の新キャンパス(舊?嶺南大學(xué))に移転され、今日に至る。
梅屋莊吉は1895年に香港で孫文と知り合い、その後、孫文の革命運動を資金面で支え続けた。梅屋は孫文の生死を共にする友人として、二人の友情は30年以上続いた。1925年に孫文が亡くなると、梅屋は非常に嘆き悲しんだ。そして孫文を記念して銅像を鋳造し、人々に孫文の理想と革命精神を伝えようと考えた。梅屋は日本の彫刻家牧田祥哉に銅像のデザインを依頼し、篠原金作工場に鋳造を依頼した。1929年、梅屋は自ら第1體目の銅像と共に南京市を訪れ、中央陸軍軍官學(xué)校に設(shè)置している。中山大學(xué)に贈呈されたのは第3體目にあたり、これも梅屋自身が同行し広州に送り屆け、現(xiàn)在も中山大學(xué)キャンパスの孫文像として安置されている。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年5月24日
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