堀川さんと張さんは、そこで3日間寢泊まりし、大きな鍋で煮た麺を食べ、たくさんの親切な村民に出會った。その村での體験が、都會で育った堀川さんが一層中國が好きになるきっかけとなった。
この十?dāng)?shù)年の間に、堀川さんは數(shù)十種の傅山の石碑の拓本や寫真、傅山に関するさまざまな時(shí)期の書籍?dāng)?shù)百冊を収集した。そして、日本傅山研究會の理事になった堀川さんは、代表の今川さんと共に、日本で傅山の作品を紹介することに力を注いでいる。
ここ數(shù)年、二人は日本で、「傅山書法名選集」や「傅山墨翰」など傅山関連の書籍4冊を出版した。また、中日文化交流を促進(jìn)するため、日本人書道家による太原市での書道展開催を何度も企畫してきた。そのような努力が実り、これまで、日本ではあまり注目されていなかった傅山は現(xiàn)在、王鐸と同じく、日本の書道界で注目を集める明?清代の代表的な書道家となっている。
太原師範(fàn)學(xué)院での學(xué)業(yè)を終えた堀川さんは太原市のある大學(xué)で日本語の教師になり、08年には山西大學(xué)文學(xué)院で、劉毓慶教授の指導(dǎo)の下、古代文學(xué)の修士課程で學(xué)び、最終的には博士號まで取得した。
中國文化を探求する旅はまだ終わっていないため、堀川さんは太原市に定住することを決意。中國の古典文化書籍を読む中で、堀川さんは、「君子」に強(qiáng)い興味を抱いている。彼は「君子は、最も理想的な人格を身につけていなければならない。言葉で表現(xiàn)するのは難しく、儒教の経典を悟った先賢にしか説明できないだろう。ただ私も正々堂々と、そして楽しく生きていきたい。そして、人には優(yōu)しく、自分には厳しく、先生や友人、學(xué)生から中國の伝統(tǒng)的な人德を?qū)Wび、それを自分で実踐し、二年後には『四十にして惑わず』というようになりたい」と語った。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年6月17日
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