「技術レベル」と資本が直接的に関係してくることは確かだが、技術力の運用とオリジナリティーあふれる創(chuàng)作力こそが「作品レベル」を決定する根本的な要素だといえるだろう。中國資本はグローバル化の道を歩んでおり、各地のアーティストたちによるプラットフォームを飛び越えた連攜はもはや一般的になりつつある。しかし、中國人獨自の文化の創(chuàng)造や発展は自分たちの手にかかっている。それゆえ、中國アニメの発展ぶりに関して、おごり高ぶることもないし、非難したりがっかりしたりすることもない。しかしながら、「大魚海棠(Big Fish & Begonia)」や「西遊記之大聖帰來(MONKEY KING HERO IS BACK) 」を見たことがあり、日本アニメを理解している中國人なら、新海監(jiān)督の前述の発言は日本人の謙虛な態(tài)度から來ていることが分かるだろう。しかも、ここ十年來で観客の反響が最高で、高い品質(zhì)で制作された一作品と日本アニメにおける平均レベル作品を比べても、中國アニメに足りない部分はまだたくさんあることは明らかだ。
「西遊記之大聖帰來(MONKEY KING HERO IS BACK) 」はストーリー構想に8年、製作に3年かけており、「大魚海棠(Big Fish & Begonia)」は12年前から構想を練っていたとしている。これらはどちらも「人の気持ち」というものをそのテーマとしている作品だ。しかしながら、これは卻って中國アニメの産業(yè)レベルの低さをという現(xiàn)狀を露呈させている。新海監(jiān)督は2、3年で一つの作品を製作しており、そのレベルはどんどん上がってきている。このことは監(jiān)督自身の創(chuàng)作力だけを體現(xiàn)しているのではなく、日本のアニメ産業(yè)の良質(zhì)な発展を象徴していると言えるだろう。
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