大好きな日本語を勉強(qiáng)して通訳に
昔から日本語がずっと好きだったという李さんは、仕事の合間を見つけ日本語を獨(dú)學(xué)で勉強(qiáng)し始めた。その後、日本の華僑に習(xí)い、その華僑が帰國してからも、重慶市少年宮の日本語クラスで4年間勉強(qiáng)した。このように、李さんにとっては、日本語が生活の中で重要な位置を占めるようになった。
その後、李さんは働きながら、広播電視大學(xué)で経済管理を?qū)Wび、さらに日本語の勉強(qiáng)も続けた。1983年、重慶のある無線通信機(jī)器メーカーがカラーテレビの生産ラインを?qū)毪?、それを設(shè)置するために日本から技術(shù)者が數(shù)十人やって來た。當(dāng)時(shí)、重慶には日本語が話せる中國人があまりおらず、紹介を経て、李さんが通訳を擔(dān)當(dāng)するようになった。通訳をそつなくこなしたため、通訳の仕事があると、多くの人が李さんと連絡(luò)を取るようになった。88年、李さんは、中國科學(xué)技術(shù)協(xié)會(huì)から、日本の山梨県の染色工場での実習(xí)に派遣された。
1年後、実習(xí)を終えた李さんは、重慶紡績工業(yè)研究所にあった日本語グループのグループ長として働くようになった。
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