歴史観の揺れに、政治家と世論の曖昧さが加われば、客観的に歴史認(rèn)識の右傾をもたらす。たとえば『顔の中の赤い月』『真空地帯』『審判』などの文學(xué)作品の主人公は、いずれも元侵略者だが、作家が力の限りを盡くして描寫しているのは、その身心の傷であり、日本人のこうむった苦難を誇張し、侵略兵に対する戦爭責(zé)任追及を意識的または無意識的にうやむやにしている。そしてここ數(shù)年で最も影響力の大きかった小説『永遠(yuǎn)の0』は、日本の零戦パイロットがいかに「戦爭の中で成長し」、最終的に「神風(fēng)特攻隊(duì)」として沖縄で戦死したかというストーリーを語っている。これらの作品は戦爭を美化してはいないものの、歴史を直視してもいない。日本人こそが戦爭の最大の被害者だったような錯(cuò)覚を読者に抱かせることが避けがたい。
戦後の日本は、「普通の國でない」自らの立場にしばしば厄介な思いを抱えてきたが、一部の政治家の解決方法は、逆に日本をさらに厄介な、さらには危険な狀況に陥れてきた。日本が戦爭の罪責(zé)を自らあばく努力を増やして、日本社會の良識をもっと喚起することを望む。実際のところ、歴史問題における逆行は、日本人を一層錯(cuò)亂させるだけだ。正しく健全な國家アイデンティティ、平和維持の積極的努力は、いずれも歴史の直視を基礎(chǔ)にして初めて築かれる。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年8月15日
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