12年、郭監(jiān)督は、元「慰安婦」の韋紹蘭さんを紹介する文章「ある元慰安婦が生んだ日本人の子供」を偶然読んだ。時(shí)は1944年、當(dāng)時(shí)20歳だった韋さんは舊日本軍に連行され、慰安所に連れていかれた。3ヶ月後のある日、韋さんは隙を見て、慰安所を逃げ出したものの、後で妊娠していることに気付いた。お腹にいるのは日本人の子供だ。韋さんは死んでしまいたいと思い、農(nóng)薬を飲んだものの、近所の人に助けられた。その息子?羅善學(xué)さんは今70代で、韋さんと2人で生活している。結(jié)婚してくれる女性がいなかったため、羅さんは生涯未婚だった。
中國で「慰安婦」問題を研究する第一人者である蘇智良教授のサポートの下、郭監(jiān)督は、韋さんにすぐに會(huì)うことができ、短編ドキュメンタリー「三十二」を製作した。その時(shí)から、郭監(jiān)督は「慰安婦」を異様な目で見るのではなく、やさしい目で見ることができるようになったという。「三十二」の製作終了後、元慰安婦が次々にこの世を去るのを目にし、「二十二」の製作を計(jì)畫するものの、資金提供者を見つけることができずに困っていた時(shí)に、女優(yōu)?張■蕓(■は音へんに欠)が支援の手を差し伸べ、100萬元を貸してくれたという。その後約2ヶ月で、郭監(jiān)督は5省の29地域に足を運(yùn)び、元「慰安婦」22人をカメラに収めた。
撮影も苦労したが、公開できたことも奇跡だったと言える。2015年10月、「二十二」の上映許可証を取得し、中國では「慰安婦」をテーマにしたドキュメンタリー映畫としては初めて公開されることになった。しかし、郭監(jiān)督は、同作品を攜えてさまざまな映畫祭に參加したものの、公開できるだけの宣伝?配給費(fèi)用を集めることができず、17年に、クラウドファンディングにより3萬2099人から100萬元をやっと集めた。そして、公開するために必要な製作費(fèi)用に20萬元を使い、殘りの80萬元を宣伝?配給費(fèi)用にあてて、同年8月14日についに公開にこぎつけた。
それほど苦労して公開までこぎつけた映畫「二十二」は見る人々の心を打ち、公開初日はスクリーン占有率が1%だったものの、1.5%まで増え、1日當(dāng)たりの興行収入が300萬元を超え、公開6日で興行収入が1億元を超えて、中國で初めて興行収入が1億元を超えたドキュメンタリー映畫となった。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年10月12日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn