「中國(guó)の発展は日本にとってチャンスだ。私たちは美しい中國(guó)の建設(shè)と農(nóng)村の振興に參加して、日中両國(guó)の互恵協(xié)力を?qū)g現(xiàn)したい」。人民日?qǐng)?bào)が伝えた。
「改革開放以來、中國(guó)には天地を覆すような変化が起きた。私は中國(guó)の改革開放に関心を寄せ続けている。ここ數(shù)年は中國(guó)へ行く回?cái)?shù)が減ったが、多くの友人がよく中國(guó)へ行き、感じた事を私と語り合っている。最近數(shù)年で中國(guó)の発展はさらにスピードアップしたと彼らは言っている」。90歳と高齢の谷井昭雄?日中経済貿(mào)易センター特別顧問は人民日?qǐng)?bào)のインタビューにこう語った。
松下電器産業(yè)社長(zhǎng)時(shí)代の1980~90年代、谷井氏は訪中を重ね、日中両國(guó)間の経済?技術(shù)協(xié)力強(qiáng)化に盡力した。1993年の退任後は大阪府日中友好協(xié)會(huì)や日中経済貿(mào)易センターなど民間機(jī)関で、引き続き日中間の友好交流?協(xié)力の強(qiáng)化に盡力してきた。
1978年10月に訪日した中國(guó)の鄧小平副総理(當(dāng)時(shí))は、松下電器の茨木工場(chǎng)を見學(xué)した。當(dāng)時(shí)松下電器に勤めていた谷井氏は、この歴史的瞬間を目撃した。谷井氏によると、當(dāng)時(shí)は日中國(guó)交正常化から數(shù)年しか経っていなかったが、松下電器の創(chuàng)業(yè)者である松下幸之助氏は「21世紀(jì)はアジアの世紀(jì)であり、アジア経済の発展は中國(guó)と切り離せない。日本は中國(guó)と手を攜えて協(xié)力し、共に発展しなければならない」との考えを堅(jiān)持していた。日中両國(guó)の協(xié)力をより良く促進(jìn)できるよう、松下氏は共に中國(guó)に投資するよう自ら他の日本企業(yè)に働きかけた。だが中國(guó)の狀況がまだよく分からないことから、すぐには參加しない日本企業(yè)のトップが多かった。一方松下氏は、中國(guó)の改革開放という偉大な事業(yè)に直ちに加わる立場(chǎng)を堅(jiān)持した。これによって松下電器は、中國(guó)に進(jìn)出した初の外資系企業(yè)となった。
1979年に谷井氏は松下氏の訪中に隨行し、中國(guó)の科學(xué)技術(shù)者と北京で交流した。その後40年近くの間に、谷井氏は80回余り訪中し、改革開放の歩みを自らの目で見てきた。
「中國(guó)の発展は本當(dāng)に速い」。インタビュー中、谷井氏は感嘆の聲を數(shù)回上げた。谷井氏は「中國(guó)共産黨の指導(dǎo)が成功の鍵だ」と考える。中國(guó)共産黨の指導(dǎo)の下、中國(guó)は政治的?社會(huì)的安定を保ち、中國(guó)は世界に対してオープンな考えを保ち、世界各地から先進(jìn)的な技術(shù)や管理ノウハウを?qū)毪肪Aけ、改革開放は多大な成功を収めた。
谷井氏は「日中両國(guó)民には2000年以上の長(zhǎng)きにわたる友好的交流の歴史がある。雙方は互いに學(xué)び、參考にして、各自の発展と進(jìn)歩を促進(jìn)した」と指摘した。「中國(guó)の発展は日本にとってチャンスだ。私たちは美しい中國(guó)の建設(shè)と農(nóng)村の振興に參加して、日中両國(guó)の互恵協(xié)力を?qū)g現(xiàn)したい」。谷井氏は「中國(guó)の改革開放の成功経験は日本にとって學(xué)ぶ価値がある。中國(guó)が世界の平和と発展のために、さらに多くの力を捧げることを期待する」と語った。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年1月30日
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