ネットワーク環(huán)境のもとで、若者が、自分の思想や感情を表現(xiàn)するためにネット用語(yǔ)を使う傾向は、高まる一方となっている。ネット用語(yǔ)は、ユーモアに富み活き活きとしている場(chǎng)合もあるが、文化的素養(yǎng)に欠けるという問(wèn)題も同時(shí)に存在する。ネット用語(yǔ)の使用が習(xí)慣となっている多くの若者の言語(yǔ)力はますます乏しくなり、彼らが時(shí)々用いる成語(yǔ)(四字熟語(yǔ))を見(jiàn)ても使い慣れていない印象を受ける。中國(guó)青年報(bào)が伝えた。
中國(guó)青年新聞社社會(huì)調(diào)査センターと問(wèn)巻網(wǎng)はこのほど、2002人を?qū)澫螭趣筏骏ⅴ螗暴`ト調(diào)査を?qū)g施した。この結(jié)果、回答者の76.5%は、「自分が使う言葉がますます貧弱になってきていると思う」と答えた。若者が自分の使う言葉の中で乏しさが感じられる點(diǎn)は、「詩(shī)句をほぼ使うことができない(61.9%)」や「複雑な修辭法が使えない(57.6%)」だった。
〇「自分が使う言葉がますます貧弱になってきていると思う」76.5%
中央美術(shù)學(xué)院で美術(shù)史を?qū)煿イ筏皮い攵·丹螭?、「みんな、他人を褒める時(shí)には、決まり文句を使うことが習(xí)慣になっている。あるいは、過(guò)度に大袈裟な言葉を使っている。中國(guó)語(yǔ)には、他人に気持ちを伝えるための豊富な語(yǔ)彙があるが、今はその多くが簡(jiǎn)略化されている。例えば、面白い事象に出會(huì)えば、皆はただ『ハハハ』と言うだけだ」と話した。
調(diào)査によると、回答者の76.5%は、「自分が使う言葉がますます貧弱になってきていると思う」とはっきり答えている。その最も目立った現(xiàn)象として挙げられたのは、「詩(shī)句をほぼ使うことができない(61.9%)」と「複雑な修辭法が使えない(57.6%)」だった。
西安交通大學(xué)電気工程學(xué)院の大學(xué)生?梁傑さんは、「普段、成語(yǔ)や詩(shī)句を使うことはほぼ皆無(wú)だ。修辭も使えないものがある。無(wú)意識(shí)に他人の話す言葉をコピーしている。自分の意志を伝えるのに、ワンパターンの言葉しかつかえない。頭の中にあることが思い浮かんでも、それをきちんと表現(xiàn)することができない」とした。
〇「若者が自身の言語(yǔ)ロジックを訓(xùn)練すべき」という意見(jiàn)75.2%
「言葉の貧しさ」という問(wèn)題が若者に生じていることについて、回答者の70.9%は、「インターネット時(shí)代には、より直接的かつ簡(jiǎn)潔な表現(xiàn)が求められている」との見(jiàn)方を示し、「同質(zhì)化に起因した表現(xiàn)で、全國(guó)民がコピーするというネットワークムードが存在する」とした人は65.4%に上った。
復(fù)旦大學(xué)中國(guó)語(yǔ)學(xué)部の申小竜教授は、「ネット用語(yǔ)は、バラエティに富む私たちの言葉の中で、大量の流行語(yǔ)、新語(yǔ)、新語(yǔ)句、新修辭を生み出した。ネット用語(yǔ)の長(zhǎng)期的かつ広範(fàn)な使用は、我々の言語(yǔ)ひいては社會(huì)生活や思考スタイルにも深い影響を及ぼし得る。だが、ネット用語(yǔ)の流行も、我々の言語(yǔ)の簡(jiǎn)略化プロセスの一つだ。ある新語(yǔ)が急速に流行し、人々が『深く考えず』使用すると、我々の感性が鈍化し、我々の中に一種の惰性が生まれ、本心に直面する勇気を失い、自分の『隠れ蓑』が盛大な言葉の『仮面舞踏會(huì)』に參加するようになる。我々は、一時(shí)的に流行するネット用語(yǔ)が、生活に対する我々のさまざまな感性に取って代わることやそれらの感性を覆い隠してしまうことに警戒しなければならない」と指摘した。
若者の「貧弱な言語(yǔ)」問(wèn)題の改善方法について、「若い人が獨(dú)自の考え方を持ち、自分の言語(yǔ)ロジックを訓(xùn)練すべき」と答えた人は75.2%、「多様化させた表現(xiàn)を奨勵(lì)するプラットフォームや雰囲気を創(chuàng)造すべき」は59.7%、「多くの古典に觸れ、個(gè)人の文化レベルを高めるべき」は57.1%をそれぞれ占めた。
申教授は、「自分の本心に正面から向き合う人の言葉は、必ず、活き活きとしており、個(gè)性的な表現(xiàn)が豊かで、創(chuàng)造的な活力に満ち溢れている?!毫激胜ぱ匀~』というものは存在せず、『特定の文脈に適しない言葉』が存在するだけだ。適しているか適していないかは、個(gè)人の判斷によるものではなく、集団心理が決めることだ。新語(yǔ)が大量に出回る時(shí)代に生きる我々は、新たな表現(xiàn)方式を積極的に摂り入れると同時(shí)に、個(gè)性的な言語(yǔ)表現(xiàn)で自分獨(dú)自の感性を表現(xiàn)する努力が求められる。それによって、自分の存在感を本當(dāng)に獲得することができる」との見(jiàn)方を示した。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年3月22日