〇中國(guó)人が白湯を飲むようになった起源とは?
「孟子」には、「冬には湯を飲み、夏には水を飲む」と記載されている。ここでの「湯」とは白湯を指している。ここからも古代の人が白湯を飲むことには健康を維持するとても優(yōu)れた機(jī)能があるとみていたことが分かる。
しかしこうした白湯を飲むという習(xí)慣は決して幅広く普及したわけではなかった。なぜなら湯を沸かすには、大量の薪が必要だが、ほそぼそと農(nóng)業(yè)を営み経済を成り立たせていた古代においては、薪もまた貴重品だったからだ。一般の人々は食事を作る時(shí)だけ、大切に使っていたとみられ、湯を沸かすというような贅沢なことはほとんどできなかったのではないだろうか。
「宋人攆茶図」
しかし時(shí)代が進(jìn)み近代になると、西洋から細(xì)菌學(xué)が中國(guó)に伝えられ、科學(xué)的な知識(shí)として水を煮沸すると殺菌効果があるとしており、ここから人々に白湯を飲むことを推奨した。1936年、當(dāng)時(shí)の民國(guó)政府は、「新生活運(yùn)動(dòng)」を展開(kāi)し、全國(guó)民に対し白湯を飲むことを全面的に普及させはじめた。しかし実際には、その頃の社會(huì)は不安定な狀態(tài)にあり、この奨勵(lì)政策も効果的に普及されなかった。
國(guó)民に白湯を飲むことを奨勵(lì)した「新生活運(yùn)動(dòng)」
新中國(guó)成立後、政府は全面的に、「白湯を飲む」の宣伝?普及活動(dòng)を強(qiáng)化した。1951年、全國(guó)規(guī)模の「愛(ài)國(guó)衛(wèi)生運(yùn)動(dòng)」が勢(shì)いよく展開(kāi)された。
1954年に作成された「白湯を飲もう」宣伝ポスター
「生水は飲まずに白湯を飲もう」とPRする愛(ài)國(guó)衛(wèi)生運(yùn)動(dòng)ポスター
國(guó)民に対する呼びかけのほか、政府は一連の措置も講じた。工場(chǎng)や學(xué)校の給湯室は、この時(shí)代に誕生した。さらには、非常に長(zhǎng)い期間にわたり、新婚カップルが新居に準(zhǔn)備すべきものの一つとして、新品の魔法瓶がマストアイテムだった。
米ロサンゼルス?タイムズ紙の記者は、愛(ài)國(guó)衛(wèi)生運(yùn)動(dòng)の経験者を取材し、「どの職場(chǎng)にも給湯室があっただけでなく、各世帯にお湯を配る人すらいた。彼らは白湯を飲むのが衛(wèi)生的で健康的であると信じていて、毎朝とても早い時(shí)間にドアの外に置かれた魔法瓶を白湯で満たしてくれていた」と報(bào)じた。
1997年、全國(guó)の魔法瓶の生産量は2億6600萬(wàn)個(gè)に達(dá)した!つまり、1990年代になって白湯を飲む習(xí)慣は中國(guó)各地の隅々にまで普及したことになる。
21世紀(jì)に入ると、魔法瓶はじょじょに人々の視界から消えていった。それに代わり、偉大なアイテムが登場(chǎng)した。それは、片手で持てるステンレスボトルだ。ステンレスボトルが登場(chǎng)すると、人々はいつでもどこでもそれを持ち歩き、より便利に白湯を飲むことができるようになった。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年7月3日