しばらく前から、中國の若者の間で、「內(nèi)巻(閉鎖的な環(huán)境で內(nèi)部の激しい競爭に巻き込まれる狀況)」と、そのような社會を拒絶する「寢そべり現(xiàn)象(何もせずに、抵抗しようとしない狀態(tài))」という、2つの異なる生き方を示した言葉が流行してきた。最近は、「激しい競爭にも追いつけず、寢そべってもすっきりしない」というのが新たな流行語となっている。そして、「45度青年」という言葉も徐々にネットユーザーの視野に入ってきており、多くの人が共感を覚えている。北京日報が報じた。
「45度青年」とは、端的に言うと、現(xiàn)実の生活において「競爭に完全に巻き込まれることも、完全に寢そべることもなく」、45度の姿勢を保つことを指している。0度が完全に「寢そべり」することを指すならば、90度は「激しい競爭に巻き込まれる」ことを指し、45度の姿勢は、ストイックに競爭に參加することもなければ、完全にだらけてしまうこともなく、一定のバランスをとった狀態(tài)で生きていくというもう一つの生き方の選択肢を提供して初めて、若者たちは素晴らしいパフォーマンスを見せ、成長し続けられるのだ。
このように、口では「寢そべっている」とは言っているものの、実際の生活の中では、しっかりと競爭に立ち向かっており、実際のところ、心の中では「人並み」の暮らしに甘んじたくはないと考える人は多い。そして競爭から一歩先んじたいと強く願っているものの、強いストレスやあまりにも熾烈な競爭に耐えることもできず、2つの両極端の間を行ったり來たりしている狀態(tài)だ?!?5度青年」という言葉は、自嘲気味ではあるものの、そこには多くの人が抱える強烈なジレンマと無力さが詰まっている。
「45度の人生」という流行語は、社會心理をかなり反映していると言えるだろう。ハイスピードでまわっている現(xiàn)代社會では、慌ただしい生活リズムに、不確定要素の多さなどのほか、學業(yè)や就職、結(jié)婚、出産、高齢の親の世話といった様々なプレッシャーがのしかかり、競爭に巻き込まれても、勝ち上がる能力はなく、かといって未練もあるため、「寢そべる」ことに甘んじることができない人が多いのだ。特に、今の若者は自分の価値を非常に重視しているにもかかわらず、理想と現(xiàn)実の差に直面して、自分に自信を無くしてしまうことも避けがたい。それでも、「45度」という言葉から、これらの若者には上を目指す熱意と積極性がまだいくらか殘っていることも見て取れる。ただ、「內(nèi)巻」と「寢そべり」の間を行き來しているほとんどの人は、そのどちらかに留まることも望んでいないが、「そうしたいからやっている」のではなく、往々にして「一方ができないからそうするしかない」というのが現(xiàn)実だ。そして、そうしているうちに「精神的エネルギーロス」になってしまい、疲れ果てて、決斷力も失いがちだ。
この先どうなるか分からない世界において出口を模索するというのは、どの時代の人も避けることができない道だ。中國には人は20歳で成人し、30歳にして「立ち」、40歳にして「惑わず」という言葉がある。どの世代の人にも、責任があり、それぞれにプレッシャーがあるものだ。
ただいつの時代であっても、最もエネルギッシュで、最も活力にあふれているのは若者だ。夢を持ち続け、それに向かう熱意を保つためのさらに大きな舞臺やチャレンジできる機會を提供し、さらに大きな聲援を送り、現(xiàn)実的なサポートを提供することで、若者たちには素晴らしいパフォーマンスを披露し、成長し続けてほしいものだ。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年4月13日