日本の天皇はこのほど、新年にあたっての感想を?qū)m內(nèi)庁を通じて文書で公表し、今年が第2次世界大戦終結(jié)70年に當(dāng)たることに觸れ、多くの人々が亡くなった戦爭(zhēng)だと振り返り「この機(jī)會(huì)に、満州事変に始まるこの戦爭(zhēng)の歴史を十分に學(xué)び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」とつづった。(文:華益聲?國(guó)際問(wèn)題専門家。人民日?qǐng)?bào)海外版コラム「望海樓」掲載)
この所感から、明仁天皇の「戦爭(zhēng)の傷」に対する重視が示された。天皇は、戦場(chǎng)、原爆投下、空襲で多くの人が犠牲になったことを強(qiáng)調(diào)し、今年4月には太平洋戦爭(zhēng)の舞臺(tái)となったパラオを訪れ、戦沒(méi)者の霊を慰める計(jì)畫を発表した。実は、天皇がこの問(wèn)題に言及するのはこれが初めてではない。2013年に80歳の誕生日を迎えた際の會(huì)見(jiàn)でも、「最も印象に殘っているのは先の戦爭(zhēng)」「前途にさまざまな夢(mèng)を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本當(dāng)に痛ましい限り」と語(yǔ)っている。第2次世界大戦終結(jié)60年にあたる2005年には、米自治領(lǐng)サイパン島を訪れ、海外「慰霊の旅」を?qū)g現(xiàn)した。
ここからも、天皇を含む日本人の多くは、先の戦爭(zhēng)が國(guó)と國(guó)民にもたらした被害を深く心に刻んでいることがよく分かる。しかし、哀悼するだけでは戦沒(méi)者の霊を慰めることはできず、國(guó)が同じ過(guò)ちを繰り返すことを回避できない。
日本が歴史を「學(xué)ぶ」には、戦爭(zhēng)の罪責(zé)をしっかり認(rèn)識(shí)しなければならない。日本が第2次世界大戦で演じた役割は明白だ。日本は戦爭(zhēng)の発端となった國(guó)のひとつであり、侵略戦爭(zhēng)を発動(dòng)した國(guó)だ。軍國(guó)主義は諸悪の根源である。しかし、戦後の日本政府は侵略政策の根源を反省しないばかりか、侵略戦爭(zhēng)という性質(zhì)を極力あいまいにしようとしてきた。その最も顕著な例が、侵略者による戦爭(zhēng)責(zé)任の回避だ。日本はサンフランシスコ講和條約の締結(jié)後、すぐに戦犯を釈放し始めた。また、侵略者を「戦沒(méi)者」、「英雄」と呼んで美化し、元兵士?將校や「戦沒(méi)者」の遺族に補(bǔ)助金を交付し、さらには勲章を授與し、裏から手を回して戦犯を靖國(guó)神社に合祀した。このため、日本政府には、侵略戦爭(zhēng)に対する國(guó)民の認(rèn)識(shí)を捻じ曲げ、戦爭(zhēng)責(zé)任に対する國(guó)民の意識(shí)を薄れさせた責(zé)任がある。
戦爭(zhēng)の殘した「毒」がまだ完全に排除されていないがために、日本國(guó)內(nèi)の保守勢(shì)力は近年、絶えず拡大し、政治の右傾化も顕著になっている。日本の安倍晉三首相の振舞いはさらにエスカレートし、戦爭(zhēng)の歴史を否定し、これを基礎(chǔ)にいわゆる「正常な國(guó)家」への取り組みを推し進(jìn)めている。このままでは、日本はますます間違った道を歩み続けるだけだ。
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