安徽省合肥市で16日、甲午戦爭(日本名:日清戦爭)関連の史料展?學(xué)術(shù)報(bào)告會(huì)が開催され、明治時(shí)代に総理大臣も務(wù)めた山縣有朋が自ら書いた「詩」に注目が集まった。中國新聞網(wǎng)が報(bào)じた。
同イベントは、合肥市関心下一代工作委員會(huì)と新四軍歴史研究會(huì)が共同で開催。資料は、合肥市軍隊(duì)離退休幹部第一休養(yǎng)所の張興華教授が提供した。
張教授によると、同詩は山縣有朋が1886年に琉球を視察した時(shí)に作ったもので、89年になり自ら書いた。その內(nèi)容は、「孤帆破浪向南州、又有辺防関客愁、島嶼茫茫三十六、青山一発是琉球」だ。
張教授は、「1885年、內(nèi)務(wù)卿だった山縣有朋は、沖縄県令?西村捨三に対し、釣魚島(日本名:尖閣諸島)を秘密裏に調(diào)査するよう指示した。釣魚島は清朝に屬し、無人島ではないというのが調(diào)査結(jié)果だった。その調(diào)査が清朝の目にも留まり、山縣有朋は釣魚島を占領(lǐng)したかったものの、軍力が不足していたため、頭を悩ましていた。この詩は、山縣有朋が初めて釣魚島を秘密裏に調(diào)査した際のことを描寫しており、『有辺防(警備が施されている)』の言葉が、釣魚島は無人島ではなかったことを証明している」と説明している。
張教授は同イベントで、日本の雑誌「日清戦爭実記」など3冊や戦況をイラストで報(bào)じた「日清戦闘畫報(bào)」、舊日本軍の「征清記念」の銅製カップ、甲午戦爭における「成歓の戦い(成歓?牙山の戦い)」の木版畫、舊日本軍の「征清討臺(tái)凱旋記念」の木製カップ、日本の「甲午戦爭」の戦死者追悼式の寫真、海軍軍人?伊東祐亨や山縣有朋の書畫などを紹介した。
張教授によると、「伊東祐亨と山縣有朋の書畫は、昨年10月に日本で手に入れたもの。木版畫と共に今日初めて公開した。これら資料は當(dāng)時(shí)の歴史の証拠。4月17日は『馬関條約(下関條約)』締結(jié)120周年。歴史が大きく動(dòng)くこととなった甲午戦爭時(shí)代を教訓(xùn)とし、若者もその歴史を決して忘れてはならない」と強(qiáng)調(diào)した。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年4月17日
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