日本に留學(xué)し、王國(guó)維の研究に攜わる
1982年、銭教授は重慶に戻り、重慶大學(xué)で行政関係の仕事に就いた。ダンサーへの道が斷たれた後、銭教授は學(xué)問(wèn)の道を目指したいという気持ちが芽生え、仕事の傍ら、四川広播電視大學(xué)で講義を受けた。次第に落ち著きを取り戻した銭教授は學(xué)問(wèn)を目指すのも素晴らしいと思うようになったという。
指導(dǎo)教員の推薦を受け、いくつかの紆余曲折を経て、銭教授は東北大學(xué)大學(xué)院に進(jìn)學(xué)した。1988年3月、銭教授は日本へ渡った。東北大學(xué)に1年間在學(xué)した後、京都大學(xué)に進(jìn)學(xué)した。ここでは6年間在學(xué)し、博士號(hào)を取得した。その後、銭教授は同志社大學(xué)で教職に就き、中日學(xué)術(shù)史や比較思想史研究に攜わっている。
銭教授は、「京都大學(xué)に在學(xué)したばかりの頃に王國(guó)維の研究を始めた。多くの高齢者や學(xué)者を取材し、大量の資料を読んだ。また、王國(guó)維が當(dāng)時(shí)日本で住んでいた確かな場(chǎng)所を特定するために、多方面にわたる資料をチェックした。このように、王國(guó)維の足跡を追いかけているうちに、彼の心情が分かるようになった」と語(yǔ)った。
1993年、銭教授は、京都の中國(guó)アジア研究専門(mén)書(shū)を扱う朋友書(shū)店の社長(zhǎng)である土江澄男氏が、王國(guó)維が日本人の友人である鈴木虎雄宛てに書(shū)いた7通の手紙を所有していることを知り、土江氏を懸命に探し回った。そして、王國(guó)維が書(shū)いたその手紙の住所から、當(dāng)時(shí)住んでいた京都の住所を割り出した?,F(xiàn)在、その7通の手紙は京都大學(xué)文學(xué)部の博物館に所蔵されている。
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